大般若経に説かれる「空」は全てに実体は無いというものである。
そしてこれが仏教の基本なのである。
「実体がないのだから囚われるな」
という教えである。
そして、
原子物理学の世界では観察者によって、宇宙が存在するという。
つまり観察者がいなければ、ぶっしつもそんざいしないという。
また「空」の教えでは、全てが無なのだから無気力になり、やる気が無くなるという、
これを「空病」という、
しかし観察者がいなくとも物質は存在している。
なぜなら、観察者すなわち人間が死んでも物質は存在しているからである。
空の教えというのは端的に言うとこうである。
あなたがお風呂場の中で手で渦を作ったとする。
その渦が自分自身なのである。そこには渦という現象があるが、渦は水であり、実体ではない。
このように人間は単独では存在せず。現象として存在する。
後代に密教化した般若経典、理趣経などは、この理屈を利用している。
いかに卑猥なものであろうとも、それはそう見えるだけであって、実体が無いのだよという理屈である。