FFVIII 備忘録 雑文

since 1999/02/12

FF VIII は面白いか

わたし、このFFVIII 備忘録に、重要なこと、書き忘れている気がしてたんである。それで、Vol.1をもう一度読み返してみたんである。そして、気がついた。わたしったら、「FFVIII、おもしろ〜〜〜い」というのを、まだどこにも書いてない。あんだけちまちまと書いてるのにね。でも、それは、決して、FFVIIIが面白くないということではないのである。逆、逆。もう、ディープにはまりすぎて、客観的判断ができなくなっているかもしれない。
FFVIIIで、よかったなと思うことは、FFVIIにあった反射神経の必要なイベント(ミニゲーム?)が、まだあんまり出てこないってことだ。だから、前よりもストーリィに神経が集中できるかも。でもやめてほしいのは、□ボタン連打とかいうやつね。あたし、連打できないってば。しかも、今の季節、部屋が寒くて、手はかじかんでるし。

では、FFVIIIは、FFVIIより面白いのか?ということについて、ちょっと考えてみよう。
VIIより、バトル(準備も含めて)が楽なのは、確かだ。ドローはとても便利だ。召喚獣は呼び放題だし。(G.F.のHPは減るけど)MPが関係ないから、結構魔法とか使うし。ケアルとかストックなくなったら、敵からドローすればいいしね。だから、ダンジョンに長くいても結構平気だし。その辺は、楽だと思う。ただ、召喚獣のCG映像の長さは相変わらずだ。(これをキャンセルできるかどうかはまだわかってない。)

ゲーム全体の雰囲気として、VIIIは、VIIより、VII以前のファイナルファンタジーにかなり近い、と思う。VIIでは、それまでのファイナルファンタジーとちょっとがらりと変ってしまったような気がするのである。PSで作られたということで、いきなりポリゴンになってしまった違和感のせいかもしれない。だが、わたし的には、マテリアシステムがそう感じる原因のひとつかな、と思ったりもする。マテリアシステムのおかげで、なんとなくアビリティとかそういう感じが薄れた感じがする。FFVIIでは、防具や武器にマテリアをつけているが、それまでのFFでは、キャラ自身にアビリティがあったという感じが強かったのである。FFVIIIでは、召喚獣自体をキャラにくっつけるということになってるが、キャラ自身のアビリティとなっているところで、なんとなく、以前のFFテイストに近いものを感じるのだ。

ゲームの主人公についていうと、VIIの主人公クラウドとVIIIのスコールは、性格的に結構似てるんじゃないかと思う。そして、その主人公が、自分の心の中に入ってこようとする異性の存在を介して、ようやく自分を確認していく、認識していくというのは、前作から共通なテーマであるような気がする。いや、FFVIを、幻獣と人間の間のティナのアイデンティティの確立とすれば、前からずっと共通の課題であるのかもしれない。
きっと、このゲームを作ってる人がそういう問題意識を持っているからじゃないのかとか、邪推したりもするけど。でも、スクウェアくらいの大手のゲームだから、ある個人だけのモノが色濃く出るということはないだろうか。
ただ、今回、前作とちょっと違う点としては、主人公の話している内容だけでなく、心の中で色色考えている内容も、メッセージに表示されることだ。だから、クラウドの考えていることは、どこにも出なくて、想像するよりなかったので、序盤のクラウドは、結構ミステリアスな感じがしたけど、スコールくんは、序盤から、考えてる内容がメッセージとして表示されるので、つっぱってるスコールくんだが、わたしには、彼の考えてることは見えてるってことだ。ゲームをやってる人には、スコールの内面がわかるけど、スコールくんはその思う所を口に出さず、飲み込んでしまう。なので、スコールくんの考えや感情は、ゲームの他のキャラには伝わらないんである。
で、性格として二人の違う点は、クラウドは、自分を取り戻した後は、実は、可愛い(というと語弊があるかもしれないが・・・)若者だった、というオチなんだけど、スコールくんのほうは、自覚して突っ張ってるって感じがする。だが、わたしはつっぱってる人間て嫌いではない。一人でやろうとつっぱっているスコールは、結構好きだ。他人の重荷を背負いたくないという潔さを持ったスコールは結構好きだ。他人の重荷を背負いたくない、と言い切れる彼には、絶対に他人に自分を背負わせることはしない、という覚悟みたいなのがあるに違いない。
人間にとって、しかも、あまり友人という人間関係を持たない一匹狼タイプの人間にとっては、自分を客観的に見つめるきっかけのひとつになるのって異性の存在を意識することなのじゃないだろうか。その場合、深い自己認識、自己覚醒に至るためには、「恋」が介在するのだ。でも、片思いだけじゃ意味なくて、ちゃんと二人で色色対話をしていくことが重要なポイントだろう。そこで、初めて、自分以外の個というものに触れ、自分と世界が分離していくのである。そのためには、自分と相手とは、違う人間なのだ、ということをまず理解しなくてはいけないのだけど。

勿論、「恋愛」を介せずとも、他者の存在を意識し、自己を意識していくことはできるんだけど、思い上がった若者にはそれはなかなか難しいことである。10代半ばから後半にかけての頃って、自意識がものすごーーくふくれあがって、まともに他者と関われない時期なんじゃないだろうか。そんな頃に、有無を言わさず、他者との関わりを持たせるのが「恋」なんじゃないかと思ったりする。
クラウドの場合、不幸にも他人によって、無理矢理自分を失くされたわけで、スコールくんとはちょっと違う。スコールくんの場合は、単なるイキがっている若者、というか、自覚してつっぱってる、というか、まだまだ自意識の固まりみたいな、そういう頑なな時期なんじゃないかと思う。だから、この先、彼がリノアなり誰か他の異性なりを、他者として意識しはじめ、客観的に自己を認識していくならば、これは、クラウドくんの時より、幾分自発的な行為なんじゃないかと思うのだ。
それに、スコールくんの気になる他者で、恋だけではない面からのアプローチとして、サイファーという人物が絡んでくる。実は、こういう絡み方って、FFIVのローザをはさんでの主要キャラ二人の関係に似ていたりする。それに、しかもサイファーは●●の●●(本人の弁)になるんで、ますます似ていたりする。ん?でもサイファーが●●●を●●かわからんな。そこはちと違うな。しかもスコールくんはまだまだそんな気持以前の化石時代くらいだものな。
サイファーは、スコールくんと違って、仲間(風神・雷神)も連れているし、ローマンティックな夢も持ってたりする。でも、彼は彼で、スコールくんが気になっているのである。ここでも、自意識と自意識のぶつかりあいっていうのが生まれているのだ。しかも、「力」の点で、実力は伯仲しているために、スコールくんもサイファーのことを、ちゃんと個人として扱っているのだ。スコールくんには、こっちからの攻めのほうが有効かもね。(といってもやおいという意味ではない)
この先、どうなっていくか、まだ序盤なので、分からないけど、今回のFFVIIIは、いわゆる「青春もの」なんじゃないかと、個人的には思ったりしてる。

そーゆうわけで、結局、わたしには、FFVIIとFFVIIIの優劣をつけることはできない。あんまり意味ないんだけどね、両者を比べてもね。違う作品なわけだしね。
とりあえず、FFVIIIのほうがバトルしやすいのは事実だけど、他は、優劣つけられないよね。優劣つけられないのは、わたしとFFシリーズがあまりに密着しすぎてて、客観的な判断をできないからかもしれない。そう、わたしのFFシリーズへの愛は、客観的な判断ができないほどに、深いのである。

[1999.02.15 BY YOSHIMOTO]


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