架空の庭 [2003.01.19]
フィーのこと 〜「ファミリー!」(渡辺多恵子著)について〜
フィーとは、『ファミリー!』(渡辺多恵子著)というマンガの主人公の少女の名前である。
「ファミリー!」の中に登場するアンダーソン家の一家の長女フィーというキャラクタが、不自然な性格をしているので、あまり読者は共感を持てない、っていうのは共通な認識だと思ってるんである。彼女の性格は、読むものに絶対に不快感を与えたと思うのだ。
このマンガを読んだ人人はみな、こう思うだろう。
なんでそこまでするの?
なんでそんなに自意識過剰なの?
そんなことしてもらって相手が嬉しいとでも思ってるの?
高校時代のわたしは、彼女の行動を見るたびに、いつもそう思った。当時のわたしは、彼女の行動に、そして彼女自身にかなり苛立っていたのである。
わたしは、フィーがすんごく嫌いだった。
作者が、ストーリィをアメリカっぽくからっとしてみせればみせるほど、わたしは、フィーに日本ぽい湿っぽさとかどろどろした女臭さとかばかり感じたものだ。環境が明るくて爽快なアメリカだったから、余計にフィーのどろどろさが目に付いたのかもしれない。
フィーのいいこぶりっ子を激しく非難するという点において、わたしは、あの意地悪な女のジャニスが、最高に好きだった。いつも彼女を応援してた。もっと言ってやれもっと言ってやれ、と思ってた。
フィーなんかはっきり言ったって全然話が通じないのだ。
フィーは、人のためにやっているけど、結局自分のためにやっていることに気がついていない。自分の内面を掘り下げようともしてない。ジャニスとのぶつかりあいで多少はフィーも人間らしくなったけれど、その前のフィーは、ほんと、見てるだけでむかつくくらいのいいこぶりっ子だ。
他人のことを考えるためには、まず自分のことを気づくべきだとわたしは思うのだけど、彼女は自分のことにはてんで無自覚なのに、他人のことばかり理解しようとする。わかっていると思っている。その無神経さがわたしは嫌いなのだ。
他人のことなんてどうやったらわかれると思っているんだろう?
あの人はこんな人だ、とかちょっとわかっただけでその人の全部をわかったつもりでいる、そんな無神経さには腹が立つ。そんな性格も確かにあるけど、それは一瞬のことでどんどん人は変ってくのだ。
それは、きっと、ある作者が昔の作品のことばかり言われる嫌さと同じなのでは。それも確かに自分だったこともあるけど、もう過去の自分であり、その点だけで自分を定義づけられるなんて、とても窮屈だし腹立たしいと思うのだ。今の自分を見て欲しいと思うよね。
でも、フィーは家族やらレイフやらに守られてたんで、いい頃合いになると彼らに助けられて、また復活するのだ。
根が深くないので、傷つくのも浅いため復活が早いのだ。それがまた非常に腹立たしかったのである。
もっと、深刻に自分のことを分かろうと努力しないのかって、高校時代のわたしは非常に不快だったものだ。
うーん、なんか、だんだん自分が非常にひねくれた人間に思えてきたぞ。でも、どう考えてもフィーは嫌いだから、しょうがないのであった。しかし、『ファミリー!』自体は面白いマンガなんである。
なんか、フィーの悪口が、こんなに長くなっちゃったよ.....。
[1999.12.15] Yoshimoto
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