架空の庭 [2003.01.19]
【11月1日(金)】
日記復活か!?などと思わせておいて、いきなり停滞していたよしもとです。みなさん、元気でお過ごしですか。
なぜかというに、4月から新しい仕事に着手して、それがようやく最近完了し、次の仕事が決まるまでのんびり過ごしていたのに、突然急に色々と決まり、新しい仕事の波にのみこまれてしまったのであった。しかも、その新しい仕事では、勉強することが山ほどあるしーーー。もう頭いっぱいいっぱい。
そんなわけで、昔の仕事も終わった事だし、先週の週末には、宴会があったんである。これがあいかわらずで…。ほんと、酒は呑んでも呑まれるな。っていつも、肝に銘じてるんだけどね。なんでだろ。でもまあ、今回はそんなにひどくなかったらしいんだけど、翌日に、何も覚えてないってのがひどいね。一番ひどいことをしてしまったのは、うちのプロジェクトで一番若い男性、Kくんに説教たれたっていうのだなぁ…。どんな説教かというと、「あんたは、外見はいいのに、中味が足りない、それでは、外見でひかれてやってきた女の子は物足りなくてみんな逃げてしまう」などと、どーでもいーよーなことを言っていたそうな。も余計なお節介だよね!オヤジそのもの!!!まいりました。説教癖が出るようになったら、人間終わりだよね。
そういえば、もうすぐ洋モノの「リング」が始まる。日本版のリングは、全部、見たことなくて、ビデオで「リング」だけでも見ないとだめかしら、と思っていたら、ちょうど土曜にテレビで放送するので、見よう。なんで、今更、洋モノの「リング」が見たいかといえば、主演の女優さんが、マルホランドドライブに出てた人だから…(なんて単純な…)
それにしても、「リング」について、知り合いの映画好きな人物に尋ねてみたら、熱くリングについて語られてしまった。そんなに語られると、是非見たくなるのが人情ですね。
そういえば、念願の『チョコレート』を観た。主演の女優さんがすごく美人だと思った。
そういえば、いい加減に、移転予定地ってのはとったほうがいいだろうか…
【10月20日(日)】
今日、パソコンの置いてある部屋をのぞいてみると、娘がにやにやしながらパソコンを見ている。何を見ているのかなと思って、ディスプレイをのぞいたら。なんと、このサイトだった。そう、この日記を読んでいたんである。
娘はわたしの顔を見ると、「お母さん、スター・ウォーズ見に行ったこと、書いてあるじ。」と笑った。「この日記、みんなが読んでるんやろ?エロエロ光線全開とか書いてあって恥ずかしくないが?」とも言われた。
ああ、いつの日かわたしの日記を、娘に読ませる日が来るだろう、一体どんな感想を持ってくれるかしら、と、こころひそかに楽しみにしていたというのに、その日がこんなに早く来てしまうとは。しかも、よりにもよって、エロエロ光線全開なぞという記述が載っている部分を読まれるとは・・・。
【10月19日(土)】
いつまで続くかわからないけど、ちょっと毎日更新してみようと思った。ただ、なんだか自分の考えたことを文章にすることができなくなってるような気がする。というよりも、最近、なんも考えないで生きてたんだろうなあ。
昔の日記とか読んでみたけど、「あら、あんたうまいこというじ!」とか思ったりして。やっぱりねー、あの文章を書いたわたしは、もういないんだ、どこにも。
4月から、仕事がちょっと変わったんだけど、その仕事がまた、非人間的なくらいいそがしいところ。最近そんなとこばっかりで働いているけど。
で、そこに同年代の女性がいるんだけど、彼女はなんのためらいもなく、仕事をバリバリこなしてる。仕事の資料を嬉々として(少なくともわたしにはそう見える)読んでいるし、仕事の話しかしない。仕事にしか興味ない!って感じなんである。(少なくともわたしにはそう見える)
わたしとは全然違うんだなあ。なんでだろ。別にわたしも仕事が嫌いなわけじゃないけど、そんなに仕事で頭をいっぱいにすることってできないんだなあ。もちろん、仕事中は仕事してるし、仕事中は仕事のことをちゃんと考えているけれど。
キャリアウーマンの言葉のイメージって、こんな人なのかな、と思った。というより、わたしのイメージするキャリアウーマンは、彼女だ。
この話には結論はとくにないです。そう思っただけ。
この間、澁澤さんの最後のエッセイ集『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』が文庫になってるのを見かけて、見かけた瞬間から次に気づいた時にはもうレジでお金を払っていました。
実は、その本は、すでに単行本を大学の頃に買ってあったの。でも、悲しくて読んでなかった。だって、最後のエッセイ集なんですよ。そんなの、悲しくて読めません。もちろん、澁澤さんが死んでしまったからと言って、わたしの買った澁澤さんの本が消えてしまうわけではないし、作者の存在と、読書にはなんの関連もないんですけど、悲しくて読めなかったです。
そして、文庫本を読んで、奥さんのあとがきを読んだら、涙がとまりませんでした。あとがきで泣くなんて頭おかしい、と思いながら、やっぱり、涙はとまりませんでした。いつか、鎌倉に行こうと思った。意味はない行為だけど。
今ここまで書いて上の文章を読み返してみたけど、悲しいってことは、悲しくて読めないってことは、わたしは澁澤さんに相当自分と一体化させてるんだろう。つまり、他人は客観的に見つめることができるけれど、家族や恋人、そして自分は、なかなか、客観的には見られない。なぜなら、自分を映す鏡だから。自分の一部にしているから。
その人といたい、と思うことは、つまり、その人といる自分を感じたいから。その人といる自分を見たいから。相手を感じるというよりも、自分を映すためにいる。でも、鏡は鏡で、それは、実は生きていることにはならない、んじゃないのかなあ。
本を読むって、自分の思考は止まってるんだなと最近、あらためて、思った。本を読んでて、自分の思考を働かせるためには、一度、本を閉じないとだめだ。本を開くことで、あの世に近づいて、そして、本を閉じて、また戻ってくる。読書って、(思考にとっては)あんまりよくないのかも。自分が死んでいくみたい。恋愛も同じだよね。なんだか、どんどん、自分がなくなっていく。(そういえば、パドメもそんなことを言ってたね)
でも、この自分をなくす、自分が死んでいるみたい、というのが、快楽なんだろうか。自分が自分でなくなる時って、気持ちいいのだろうか。
死と快楽って、わたしは似てると思っている。それはもう、ずっと前から、根拠もなく確信してた。なんでそうかといえば、やはり、両者に共通なのは、自分が自分でなくなってるようなそんなところじゃないだろうか。
ここで言ってる自分て、自分で考える事が前提になった自分なんだろう。その思考が止まる時は、死んでいる時に似ているし、思考が動く時は生きているって感じるんだ。
【10月18日(金)】
なつめさんがわざわざ、日記に書いてくださっていて、思わず、うひゃあ、と声を出しそうになりました。
ずっと、読んでなかったんですけど、つい最近、本屋で見かけて、タイトルの素敵さに心を奪われて、『赤緑黒白』(森博嗣/講談社ノベルス)を衝動買い。そして、衝動読み。そして、びっくり。林って・・・って感じだ。でも、思い返せば、なるほど、って思い当たることばかりで、感心する。そのいきおいで、他の森作品も買い揃えて衝動読み。『月は幽咽のデバイス』から読んでなかったのだ。そして、『月は幽咽のデバイス』は、まだ読んでいないのだけど・・・。今読んでるのは、『夢、出会い、魔性』だ。
今になって、ようやく、あの人物たちにも慣れてきたけど、『赤緑黒白』で終わっちゃうから、残念だ。
最近、納豆ばっかり食べている。晩御飯に、2パック食べたりする。いろいろ、調子がいいような気がする。気のせいかもしれない。
しかし、からだの調子がいいのは、本当。前まで、足が冷たくて、ふとんに入っても朝まで足は冷たいまま、なんてこともあったのだけど、今は、ふとんに入ったらそくざに放熱してる。自分の熱で暑かったりする。実は大きい声じゃいえないが、昔は、娘のふとんに足をつっこんで、熱を奪ったりしていたのだ。(ごめんなさい)それが嘘のようだ。
そういえば、この間、名古屋に行ってきたのだ!
熱田神宮にでかけて、その近所のひつまぶしを食べてきた。天むすも食べたし、矢○とんのみそかつも食べてきた。美味しかった〜。名古屋って、実はほとんど知らなかったんだけど、なんであんなに食が豊富なんでしょう。
【10月17日(木)】
どうもみなさん、ご無沙汰しております。よしもとは生きております。仕事がようやくヒト段落って感じで、生きる余裕がでてきました。はひ。
最近、映画見まして。やっぱ、スター・ウォーズのエピソード2はみとかないかんだろってことで、つい先週、2回目のエピソード2を見に行ってきました。相変わらず、エロエロ光線全開のアナキンくんでした。あんな目つきで、女の人を見ちゃいけませんて。
1回目は、なんといってもヨーダすごい!ってのと、アナキンくんやらしー!っていうのが、一番の感想でしたが、2回目では、マスター・ウインドゥのライト・セーバーがパープルであるってことを確認してきました。確かに、あの方だけ、パープルでしたね。
今度は『チョコレート』を是非観に行きたいですね。
【6月18日(火)】
『感情教育』(中山可穂/講談社文庫)が文庫になって売ってるのを見かけてついつい買ってしまう。それ以来、それは、布団の横に常備され、寝る前に読み返す本になってしまっている。でも読むと、ついつい涙が流れてしまうので、次の日、目がはれてやばいのだ。まじで、最高に、こころにしみる小説だと思う。
他に寝る前に何度も読み返す本として、最近ピックアップされていたのは、『海の天辺』(くらもちふさこ/集英社コミック文庫)。くらもちふさこって、やっぱり、うまい。解説の人も書いてるけど、モノの使い方がすっごくいいんだよね。他のマンガでもそうなんだけど、たとえば、ナッツのクッキーとか、そういう具体的なモノを使って、主人公の気持ちを表すのが最高にうまい。りげなくて、かっこいい。
というわけで、くらもちふさこは、いいよねー。
ところで、教え子を嫁にもらった先生って、多いのかな? わたしの高校時代の担任の先生は、2人とも(高2、高3は、担任が同じでした)教え子と結婚していたのだ。職場結婚だと思えば、そんなものなのかも。教え子の方は、職場じゃないけど。
【6月4日(火)】
どうしよう。そろそろ過去日記を別ファイルにしないとまずいっすよね。
最近、『チグリスとユーフラテス』が文庫で出てたので、それを読んでるんですが、これが、実にすごい文体なので、読み進むのに、苦労しながら、読み進めてます。あの文体は、やっぱり、肌に合わないのね。高校生の時ならまだ読めた、のかなあ?
あと、最近、モン○ル800(モ○ゴル800)(このバンドのファンに検索して来て欲しくないんで)のアルバムを聞いてるんです。沖縄の音楽って聞いてたので、ついついBOOMみたいなのを想像しちゃったんだけど、全然違って、いわゆるアマチュアバンドの勢いのある人たちって感じかな。
散歩は、本当にこころが落ちつくものである。歩く、という行為は、脳を活性化させるだけでなく、日頃は思いもつかないような考えをもたらしてくれるような気がする。もっと、ひまがあれば、歩きたいな。でも、あんまりウォーキングしすぎると、膝が悪くなるらしいですよ。先週、美容院行った時に、おばさんが言ってました。まあ、そのおばさんは1日も欠かさずに7km歩いていたそうなのでそれは無理もないのかな。適度な運動、適度な散歩は、すごく脳に良いと思います。
【6月1日(土)】
めんどくさいので、表紙にじかがきで、どんどん増やしていってるよしもとです。わははは。
昨日、おもしろいことがあったので書こうかなと。
友達と話してた時のこと。
その友達(以下Cさん)の友達に、彼女ができたそうだ。わたしは全然知らなかったので、「へーそうなんだ、どうりで最近「さびしー」って言わないと思った」と答えた。実は、その「寂しい」というのはただの彼の口癖だそうだが。
で、しきりに驚いているわたしに、Cさんは彼女のことを説明しようと思ったらしく、「うん、すごい、いい子やよ」と教えてくれた。
ところが、この「いい子」というのは、実はくせものだと思うわけだ。実に口当たりよく、その人のよさをアピールしているかのように思われるけど、実は、何の情報も与えてはくれない、からっぽの単語、「いい子」。
わたしは、その「いい子」の基準をはかるべく、Cさんにさらに掘り下げた質問をぶつけてみた。
「じゃあ、質問。もし、全然知らない人にわたしのことを説明する時に、「よしもとさんて、いい子だよ」って言う?」
Cさんは、まさに、言葉に詰まった。つまり、彼女の「いい子」基準と、わたしは、かけ離れた存在であったのだ。彼女は、言葉につまりながらも、またまた共通の友人Mの名前を出して、こう言った。
「Mさんなら、「本当はいい子」だよって言えるけど…」
今度は「本当はいい子」。これはどういう言葉か。Mさんは、確かに、ちょっと斜にかまえた、ぱっと見た目ではきつい子に思われることが多い人なんだけど、内面は、すごくナイーブなのだ。イメージでいうと、鉄仮面をぬがせたら、中から可憐な女の子が泣きそうな顔で出てきた、みたいな、そんな感じ。
硬い殻に包まれたその内部のハートは、多分、他の人のハートよりも、やわらかで傷つきやすい。だからこそ、彼女は、そのハートを硬い殻で覆っているんだと思う。そうしないと、自分が、深手を負ってしまいそうなのを知っているから。あるいは、気づいていなくても、本能的にそれを認識しているから。
そういう意味でいうなれば、わたしは、自分のハートを覆ってないような気がするな。わたしのハートは、むきだしだ。でも誰にも傷つけられないハートのような気もする。いや、多分そりゃあ、人間だから、ささいなことでブルーになったりはするけど、内部までの致命傷は、誰にも負わせられない、みたいな。いや、それよりも、実は中味がないような気もするな。中味のハート自体、実は存在してないみたいな。殻の中は、実はからっぽ。ないものは、傷つきません。
これで、わたしは、Cさんの基準、「いい子」「本当はいい子」にも属さないというのが掘り下げられた。では、簡単に、単純に、何も知らない人に、よしもとさんの予備知識を教える時には、なんていうの?
Cさんはやがて、こう言った。
「うーん、よしもとさんは難しいなあ、でもこういうかな。ちょっと変った人やよ、って。」
ははは。確かにあんまり知らない人にはそれが正しいかもね。
その後、しばらく、2人で話してたんだけど、「いい子」ていうのは、やっぱり、あんまり知らない人に対しても、ごく一般的に人当たりよくつきあえる人、というくらいの意味なんだろう。「本当はいい子」っていうのも、見た目はきつめだけど、よくつきあってみると、ごく一般的につきあえる人、くらいの意味だ。とすると、わたしは、人当たりも悪く、よくつきあってみても、やっぱり一般的につきあえない人って意味なんだろう。(いやあ、われながら最低(笑))
結論として、誰に対しても「いい人」だよ!ってすすめられるのは、共通の友人Yだね、ということになった。彼女は本当にどこに出しても恥ずかしくないきちんとした人で、多分、息子の嫁にしたい人ナンバーワンだろう。この、「どこに出しても恥ずかしくない」、というのは、さらりと使ったけど、すごい言葉であるな。「社会」という中で、価値のある存在という意味なのだろう。
そう、彼女は、社会のどこに存在させても、価値のある存在だ。ものさしではかったら、その記録は、どこにいっても、最高の記録になるだろう。家庭でも職場でも友人関係の中でさえ。
Cさんは、さらに、こう教えてくれた。Cさんとわたしはもう10年くらいになる友達なんだけど、彼女が言うには、わたしも、大分普通の目つきになったそうな。10年前のわたしは、周囲に対して「だまされるものか」という強い目つきでいたという。今は、「なんでもやってみれば、うふふ」という余裕の目つきに変っているという。これは、すごくいい話を聞いたな。やっぱり、古い友達は得がたい存在であるのだ。
【5月30日(金)】
どうもこんばんは。
前のサイトの移植も全然進んでいません。このまま、閉鎖しちゃったほうがいっそすがすがしいかと思われます。
みなさん、お元気でおすごしですか。
わたしの近況をすこしおはなししましょう。
最近はエレファントカシマシ週間で、毎日、エレカシ三昧の日々なのです。車でも、家でもエレファントカシマシばかり聞いてる。やっぱりいいのです。最高。
孤独は癒えないのだ。愛を求めてるのもいい。人恋しくなるのもいい。けれど、孤独は絶対に癒えない。癒えないのだ。一瞬だけ、満たされる時もあるけれど、孤独は、絶対に癒えない。死ぬ瞬間に、わかる。
最近凝っているテレビ番組。それは、金城くんの出てる「ゴールデンボウル」です。もちろん、金城くんねらいですがね。毎週欠かさず見てて、それだけが1週間の楽しみかな。
あと、『千と千尋の神隠し』のビデオを予約してしまった。それは、ハクのお○ぎりフィギュアが欲しいためだけです。ただの宮崎駿が握っただけのおにぎりなのに、無性に欲しくなって注文しちゃいました。頭おかしいよ。
あとあ。PHSを機種変しまして、すごいいいのになりました。もう、着メロ、ダウンロードしまくりです。先日、ゴールデンボウルの主題歌をダウンロードしちゃいました。もう病気ですね。
あと、怒った顔について。好きな異性の起こった顔って、セクシイですよね。そう思いませんか。なんで怒った顔ってそうなんだろう。最近それについて考えてます。今度それについて書くと思われます。
近況はこんな感じです。ではまた。
よしもと
1998-2003 (c) Yoshimoto