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働き始めて最初に自分の給料で購入した車で、カローラクーペ1200SLの中古車です。当時はインジェクションなどはなく、キャブレターでスポーツ車はツインキャブ仕様となり、このSLもツインキャブでした。赤色で当時流行していた屋根が白色のレザー張りになったツートンカラーでした。友人と北海道の網走まで行ったりと、なかなか足として頑張ってくれました。最初はこの車でラリーにも参加していましたが、当時はまだラリー専用タイヤもなく、スノータイヤ(現在のスタッドレスのようなラジアルではなく、バイアス構造のタイヤ)を履き、ラリコンも無い時代ですからハルダツインとRally Mate DXという円盤(ラリー用の円形をした計算尺)を使用して参加していました。分計時だけのCPでも順位がついてしまうような、のんびりした、おおらかな時代でした。 |
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カローラクーペに無理矢理セリカ1600GTに搭載されていた2TGエンジンを押し込んだ車で、昭和47年に発売になり、1年落ちの中古車を買いました。当時カローラは50万円程度で、フル装備のセリカ1600GTは95万円で買えましたが、ラジオも付かないカローラレビンは85万円もしていました。特殊な車で生産台数も少なく、モータースポーツ専用車でした。私もこれから本格的にラリーにのめり込む事ににりました。グリルに付いているカーバッジは見る人が見れば解ると思いますが、JAFとSMSCのもので、当時はFL500で鈴鹿サーキットも走っていました。 |
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カローラレビンもTE27からTE37(レビン・ハードトップ)、TE47(トレノ・クーペ)へとモデルチェンジし、TE37の中古車に買い換えました。レビンはハードトップのためトレノのクーペに比べてボディ剛性が低く、逆にボディのしなりでグリップは良かったようです。ちなみにこのレビンにはリヤサスペンションのリーフスプリングがジャダーを起こさないようにトルクロッドを取り付けていました。しかしラリー車としての戦闘力はTE27の方が上で、新車に乗り換えたトップラリースト達は皆TE27に戻って行きました。この当時の車両規則ではエンジンチューンもOKでしたので、ピストン、カムシャフトなども交換してあり、全日本選手権にもエントリーしていました。 |
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仕事が現在の金沢工業大学へ変わった事も有り,競技車両をやめ、セリカ1600GTVに買い替えしました。競技会への参加は競技会時だけチーム員の車をレンタルしての参加となり、練習不足となってしまいました。このころから主催の方に主力を置くようになってきました。
この写真はお正月のもので、雪が有り現在では禁止されているスパイクタイヤを履いています。マカロニピンを打ったタイヤも持っていました。 |
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結婚して初代のセリカXX(セリカリフトバックの発展型で現在のスープラ)に変わりました。始めての6気筒エンジンの車でしたが、1Gというエンジンは良く回るのですが、トルクがあまりありませんでした。ロングノーズにリトラクタブルライトがなかなかおしゃれでした。 |
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子供も生まれて、チャイルドシート(当時はあまり使用されていませんでしたがこのシートは輸入品のブリタックス製です)を取りつけたスカイラインRSターボになりました。初めてのターボ車で、ターボが効き出すとドッカーンと走り出す、典型的なターボ車でした。FJ20という4気筒のターボエンジンはなかなか面白かったです。履いているホイルはラリーストの柑本選手が海外ラリーで使用したRSワタナベのマグネシウムホイルで、超軽量でした。 |
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子供も少し大きくなったので、4ドア車のアウディ 90に変わりました。アウディ 90は2Lながらアウディお得意の縦置き5気筒エンジンのFF車で、この1台だけが唯一所有したFF車です。この頃からラリーの会議で名古屋へ行く事が多くなり,高速道路などで運転の楽なヨーロッパ車にしたのですが、この車だけかも知れませんが、長時間運転すると足に痺れが残りました。FFの為か又は5気筒の関係かなと思っています。この車で2ペダルの道楽を覚えてしまいました。 |
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やっぱりFRに戻ってしまいました。まったくモータースポーツとは無縁の車になりましたが、名古屋への往復はなかなか快適でした。写真は神社での御祓いの時のものですが、あまりご利益はなく、良く故障しました。一番大きなのが、タイミングチェーンが35000km程走ったところで切れてしまいました。当然走行中でピストンにバルブが当たり、オーバーホールとあいなりました。この年式はシングルチェーンでしたが、翌年からはダブルのチェーンが使われており、ダブルのチェーンへと対策をして頂きました。この190Eには9年も乗ってしまいました。しかしまだまだ足回りなどはしっかりしたものでした。 |
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これが現在の私の足のC230です。この年式だけ2300ccの4気筒エンジンとなっていて、以前は2200cc、以後はV6を搭載しています。排気量の大きい4気筒はなかなかトルクフルで気に入っています。やっぱりモータースポーツ(特にラリーのような加減速の激しい競技は低速トルクが必要なため)は4気筒エンジンの方が向いています。我が家には現在BMW320もいますが、2000ccの6気筒よりも低速トルクが太く、音を気にしなければ(BMWの方が静かで心地好い)ずっとスポーティーです。またベンツのトルコンは一度動き出すとほとんどスリップ感が有りませんがBMWはかなりスリップする感じがします。ベンツは動き出せばマニュアルミッション車と同様のダイレクト感が常にあり、これもとても気に入っています。190E・C230と左ハンドルで、料金所など不便なこともありますが、なれると左側の歩行者などがよくわかり、左ハンドルの方が安全なような気がしています。 |
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還暦を迎え、我家の大蔵大臣におもちゃを買っていただきました。ボケ防止もかねて、もちろん左ハンドルで6段のマニュアルミッションとPASM(アクティブサスペンション)付きです。認定中古車で東京目黒から運ばれて着ました。先のC230は登録から13年になろうとしていますが、たいしたトラブルもなく、現在ドライブシャフトのセンターベアリングを交換中で、暫らくは我家に残ることになりました。Cayman Sは911のこともあって販売戦略的に性能を落としているとの噂ですが、低回転からのトルクが大きく、街中でも動いていればどのギヤでも加速していきます。Cayman はフロントにもリヤにも荷物が積め、スーパーへの買い物も可能でなかなか便利です。ただ残念ながらC230よりも回転半径が大きく小回りが苦手で、道路から我家の駐車場へバックで入れるのが、なかなか大変です。 |
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我が家の息子の愛車の移り変わりです。なかなか小さい頃から車好きでしたが(一時、スーパーカーやF1にはまっていました)いつのまにか免許も取れ、最初にBMW320の中古車を購入しました。BMWは2000年末に我が家の2台目の車となりましたが、現在はBMW318のMスポーツになっています。 |
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