弓 道
弓聖 阿波研造 範士
私が最も尊敬する弓人の一人である。

(もっとも、お会いしてお話を伺ったことは無いのだが)

まともな弓人なら、この写真でその素晴らしさをはかり知ることが出来るはずである。

1.弓道とは(持論)

  弓を引くをもって人間完成を目指すものなり。

  流祖となる人の多くが神門・仏門に入るがごとく、弓は一つの通過点ではないかと思う。(印西、竹林、吉見順正 これらは弓を極め僧侶となった方たちです)そうやって、はじめて殺す弓から生かす弓へと成っていくのではないか…

2.道具としての弓(持論)

  弓は元来狩猟の道具で、人殺しの道具としてではなく家族を養うための道具であった。しかし、人間は権力を持ちたいと思うもので、いつしか人殺しの道具として扱われるようになった。

  弓道では、その愚かな人間の欲望を自らの修行で振り払い、人間の本来のの姿である「利他」の心を取り戻す道具であると言える。

3.現代弓道(感想)

  現代弓道は礼を重んじるとあるが、果たしてそうであろうか?

  昔は、立ち居振る舞いにも意味があり、一つ一つの動作に天地の法則があった筈である。 しかし、近年では毎年のように作法が変わり、意味を聞いても答えられぬ始末である。 それは、先人たちの知恵を踏みにじる非礼・無礼・失礼である。 つまり、権力のなれの果てと言えよう。(権力に執着して引く弓は、人殺しの弓である)

  本来、自らの煩悩を振り払うための弓がこのような使われ方をされていれば、哀れとしか言いようがない。

  もっとも、このようなことは他にも数多くあり、権力はやがて地球を滅ぼし、自らの首を絞めていくものである。

4.今後、どのようにしたらよいか(希望)

  武芸十八般の第一とされる弓において、先駆者としての自負を持ち和合に尽力するべし。

  指導者は、自らの行いいかんで未来の明・暗を左右することと理解し、言動を慎み利他・和合に没頭すべし。


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