数珠というのは、古代インドの時代から、
礼拝の道具として使われていたという古い歴史をもっています。
読んで字のごとく数の珠でして、
古くから仏の名や陀羅尼(呪文)を称えた数を
数えるために用いられてきました。
ひとつ数える度に輪の珠をひとつ押し、
何巡したかで称えた数を計算したようです。
京都には百万遍という地名がありますが、
その近くの知恩寺という浄土宗のお寺では、
お堂の中をひと回りするような巨大な数珠を、
大勢の人でくりながら念仏を称え続けて、
七日間かけて百万遍の念仏を称える行が
おこなわれているところもあるそうです。
真宗でも仏様を礼拝する時には欠かせない法具ですが、
念仏を数えるといった道具には用いません。
何故なら、
真宗では念仏は行者のためには
非行非善(行にあらず、善にあらず)といわれ、
称えた数によって御利益が増えるといったものではありませんから、
称名の数にこだわることは無いからです。
それでは数珠を持たずに礼拝してもよいかといえば、
蓮如上人は
それは仏様を手つかみにすることだとたしなめられています。
けれども数珠を持たなくても往生浄土のためには、
ただ他力の信心ひとつであって、
それが障りとなるようなことはないと仰っています。
しかしながら、合掌礼拝する時は、数珠をかけ、
胸の前で指を開かずに両手をきちんと合わせて、
お念仏を称えて礼拝したいものです。
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