法事や月忌参りで読誦(どくじゅ)されるお経には
一体どのようなことが書かれているのだろうかということは、
密かな関心事ではないでしょうか。
浄土真宗では浄土三部経という三つのお経が読まれます。
その中の『観無量寿経』には
王舎城の悲劇という事件が説かれています。
この王舎城の悲劇といいますのは、
お釈迦様のいらっしゃった時代に、
マガタという国に頻婆沙羅(びんばしゃら)という王様がおられました。
その王様には韋提希夫人(いだいけぶにん)という妃がおられ、
また二人の間には阿闍世(あじゃせ)という王子様がおられました。
ところがある時、
この阿闍世王子がお釈迦様のいとこの
提婆達多(だいばだった)という悪友にそそのかされて、
父王を七重の部屋に閉じ込めて
王位を奪うという事件を起こしてしまいました。
そこで韋提希夫人は身を清め、
自分の身体に食べ物を塗り、
瓔珞(ようらく)という装身具の中には飲み物を隠して
王に会いに行きました。
二十日あまり経った時、
阿闍世は門番に「父はまだ生きているか」と尋ねます。
すると門番は「夫人が毎日食べ物を持って来るし、
お釈迦様の弟子は空から来て、
王のために法を説くのを禁止することは出来ません」と答えます。
それを聞いて怒った王子は剣を取って母を殺そうとします。
その時大臣である耆婆(ぎば)と月光(がっこう)が、
今まで父王を殺した王子はたくさんいるが、
いまだに母親を殺した王子のことは聞いたことがないと諌めます。
そこで思いとどまった王子は、
母をも幽閉してしまいます。
すっかり憔悴しきった韋提希夫人は、
お釈迦様のいらっしゃる耆闍崛山(ぎっしゃくせん)の方に向かって、
どうか阿難と目蓮という弟子を慰問につかわしてくださいと頼みます。
それを知ったお釈迦様は法華経を説いていたのを中座して、
王宮に降りて来られます。
そこで韋提希夫人は号泣して
「世尊、わたしは昔何の罪があって、
このような悪い子を生んだのでしょう。
また世尊は何の因縁があって、
あのような悪い提婆達多と親戚なのですか」と尋ねます。
しかしながら、
実はこの阿闍世王子には出生の秘密がありました。
父母である頻婆沙羅王と韋提希夫人は幸福に暮らしていましたが、
なかなか子宝に恵まれませんでした。
ある時、占い師に観てもらうと
「山に住んでいる仙人が三年後に死に、
その代わり太子が授かる」というお告げがありました。
ところが三年間を待つことが出来なかった王は家来をつかわして、
その仙人を殺してしまいます。
すると占い師の予言通り、妃は懐妊します。
そこで再び占い師を呼んで尋ねると、
「生まれてくる子供は仙人の恨みがありますから、
きっと大王様に仇をなすでしょう」と予言しました。
今度はそれを恐れた大王は妃を高い所に登らせて、
そこから子供を産み落とさせ墜落死させようとしました。
ところが生まれた子供は指一本折っただけで助かりました。
この子供が阿闍世王子でした。
この出生の秘密を教えたのが提婆達多で、
これを聞いた阿闍世王子が怒って、
王を七重の部屋に閉じ込めるという王舎城の悲劇が起こったのです。
子供が欲しいというごく自然な夫婦の願いが、
殺人にまで発展してしまうという恐ろしいことが起こってしまいます。
さて、お釈迦様の訪問を受けた韋提希夫人は冷静さを取り戻し、
お釈迦様に阿弥陀如来の世界へ生まれる存在へと誘われます。
その過程で、
自己中心的な生き方しかしていなかった自らの罪深さを改めて知らされ、
自分自身の姿に目覚めしめられます。
そして遂に、
その利己的な心を払い去られた称名念仏によって救済されていく姿を、
ドラマチックに説かれているのが『観無量寿経』です。
わたし達は救いといいますと、
自己の欲望が満たされることだと思いがちですが、
反対にそれぞれが自己中心の思いで生きていることが、
次から次へと悲劇の原因を作り出しているのではないでしょうか。
お経というものが二千年以上も前から今まで伝えられてきたのは、
韋提希夫人一人が救われた物語が残されたのではなく、
韋提希の物語を通して人間の持っている本質的悲劇に対する、
すべての者に共通する救済がそこに説かれているということです。
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