珠姫さま
珠姫さま略伝
珠姫さまは、加賀、能登、越中の太守、加賀藩三代藩主前田利常公の正室で、慶長四年(1599年)三月江戸幕府第二代将軍徳川秀忠公の次女として生まれ、名前は珠子、幼名を子々姫といった。
同年、前田家では藩祖利家が亡くなり、二代藩主利長公が加賀の国へ戻り藩政を治めていた。その間には、前田が徳川を討つという噂が流れ、将軍家康公は大変驚き軍勢を集めて前田を攻めようとした。この情勢を聞いた利長公はすぐに国家老を派遣して、前田家が徳川幕府に刃向かう計画は一切無いことを説明、その証としてやむなく利長公の母、お松の方(芳春院)を人質として江戸に送り代わりに珠姫を嗣子利常の嫁として受けることを約束した。
慶長六年(1601年)珠姫さま3歳のとき加賀の国(金沢)へお輿入れになり14歳で結婚、その後10年間に3男5女を立派に育てられた。珠姫さまは利常公の妻として、将軍秀忠公の娘として前田、徳川両家の融和のために心を尽くされたが、元和八年(1622年)春、夏姫出産後七月三日に亡くなられた。御歳24歳であった。
その年の八月八日、城外小立野の地で荘厳に葬儀が行われ、遺骨を金沢と高野山に分骨して各に一寺を設け、戒名の『天徳院殿乾運淳貞大禅定尼』にちなんで、いずれの寺院も天徳院と称した。
珠姫さまの生涯は加賀百万石の危機を救いその繁栄に尽くした、まさに良妻賢母、日本女性の鏡として今も金沢市民に敬愛され親しまれている。