福祉・介護とか

 

    介護保険とかいろいろ入ってきて、大変です。

   確かに、契約によるサービスは大切でしょうね。

   でも、そこから、はみ出る人はどうなるのでしょう。

 それでは、日頃、感じてることや悩んでること等について
掲示板に発言してくれるとうれしいです。専門職でも、そう
でない方でも、遠慮せずにね
もちろん、せっかくだから、
足跡の一つくらい、残してね。


 1.老人虐待について
  

   最近、ケースの中で、虐待のケースが目立ってきました。これは、
  介護遺棄や実際に暴力をふっているケースなどがありますが、
  実際の場面に立ち会うとすさまじいものがあります。
   さて、このような場合、民間の機関では、対応(援助に)に限度があり
  ます。そこで、公的機関に相談することになりますが、公的機関として
  どこまで、権限があるのでしょうか。
   児童の場合、児童相談所があり、児童相談所所長の権限が何とか(笑)
  保証されてはいます。
   では、高齢者だと、どうなるのか?
   俗に言う、「職権措置」という簡単に言えば、役所の判断で、被虐待者の
  安全のために、老人ホーム等の機関に措置することになります。ただ、
  これを使うのは、なかなか難しいでしょう。
   もちろん、介護保険のなかにもこのような、ケースも想定し、実際に措置は
  残りますが、落とし穴があるのでないでしょうか?
   例えば、身体的には、要支援レベル(まあまあ、自分の身の回りことは自分
  でできる)の方が、仮に、息子から虐待を受けていた場合、生活を守るために
  中長期的に施設に預かってもらうようなことは、難しくなりますよね。
  それだけでなく、自立していた場合、すべてのサービスをうけるとは出来なくなり
  この場合、想定されうるのは、婦人相談所(女性だったら)のサービスくらいしか
  思い浮かびません。
   福祉社会が少なからず、成熟してくると「ケースの発見」により、ますます、この
  ような、状況が想定されてくるのではないでしょうか。
   みなさんは、どのように考えます。
  


 2.面接による「理解する」ということ
  先日、久しぶりに土居健郎の「方法としての面接」を何気なく読んでいたら、
 「わかる」ということについて、述べられていました。
  

 私なりに解釈しますと、面接で、何でもかんでもわかったつもりになったら
あかん。何がわかり、何がわからないかの区別がわからねばならない。
 日本語で言う「分かる」は、区別が明らかになることという意を含んでおり、
本当に、わかるためには、まず、何がわからないかが見えてこなければならな
い。要するに、クライエントの理解は、まず、わかることとわからないことを区分
けし、わからないことに対し、面接を進めていくということなのだろう。

 はぁっ、ふうっ、奥が深いやんけー!!と言うわけで、ちょっと、勉強してみた
ので、報告しまーす。


3.  来月より、介護保険の介護度の認定業務が始まりだします。これで、一次調査
  ということで、市町村職員または、市町村から委託された居宅介護支援事業者の
  ケアマネージャーが一次調査をするのですね。
  うーん、どうなるのでしょうか。少なくとも、これまで、受けていたサービスより質量
  ともに、減少する方々が4月以降、出てくることは、私の周りをみていても、まちが
  ないでしょう。
   また、金銭的にアップする方は、どうでしょう。高額介護で高額療養のように、天
  井が決まっても、現在のサービスと同じ程度のサービスを必要とする場合、自己
  負担が大変な額になる方もでますね。
   福祉が何処に向いて、どう走っていくのか、しっかり、監視していかねばなりませ
  ん。って言っても、我々自身が、何処を向いているのか、最近、私自身もよく分かり
  ません。
   在宅介護は、とても大切ですが、結構大変なのです。(介護者は。)
   嫁が姑を介護する場合、否、介護せざるを得ない状況のとき、我々は、その嫁を
  えらい嫁だと賞賛します。確かに、そうだけど、何の福祉サービスも利用せず、どうにも
  ならないギリギリの状態で相談に来て、専門家から見ても、限界を超えている、とんでも
  ない重介護の高齢者を、虐待していることにも気づかず、いきいきとした言葉で、「私は、
  義母を一生懸命介護したいのです。」というその女性の、表情がなく、感情の感じられ
  ない状態を何かおかしいと感じるのは私だけでしょうか?
   まるで、アルコールの共依存の関係の家族のように・・・・・・


 地域で、生活している高齢者の中には、いろいろな世帯類型
  がありますね。例えば、@独り暮らし、A高齢者世帯(老夫婦および
  兄妹、親子も含む)、そして、B同居世帯(若夫婦などと同居してる)
  などに、分けられます。この中で、要援護高齢者と言われるのは、
  @、A、そしてBの中で、寝たきりや痴呆の高齢者を介護している世
  帯と言えます。(制度や厚生省の考え方によって変わりますが)
   独り暮らしで、何とか生活している高齢者は、ある意味では、危険
  な状況と隣り合わせで生きています。例えば、倒れても、誰も助けに
  来てくれない・・・高齢夫婦も不安です。地域の中で、共存しようと
  いう勢力と、「何かあったら、どうするんだ!」という考えに別れる
  事になります。
   あるおばあちゃんが、脳梗塞を発症し、2カ月後、退院してきました。
  ところが、少々、物忘れが出現してきました。この方は、独居で、アパ
  ート暮らしでしたが、始めに、困ったのは、大家さんでした。
   火事をだすのでないか心配だということでした。おばあちゃんの子供
  は、いないので、親族は兄妹くらいですが、病弱で高齢です。大家さん
  は、最初に、保証人に、何かあった場合、どうするか聞いて、安心した
  かったのですが、保証人が当てにならないことを理解し、いよいよ不安
  になりました。それで、隣近所の人たちを集め、痴呆がでている、火事が
  心配、みんなの迷惑、施設に入ってもらおうということで、行政側に施設
  を紹介するよう、陳情に来たのでした。
   本人は、家で生活することが、望みです。これからの生活に不安はある
  ものの独りでやっていきたいということでした。ヘルパーとデイサービス
  が組まれましたが、痴呆は、良くなることは、なく、むしろ揺るやかにす
  すんでいました。
   本人は、地域で生活したいのに、独居、痴呆、親族の協力者がいないと
  いう理由で、アパートを退去し、施設入所となりました。
   以上の話は、別に珍しいものでなく、日常茶飯事です。このことから、
  わかることですが、日本は、福祉のサービスや制度も大切ですが、結局の
  ところ、他人の生活を尊重しながら、生活する基盤づくりが欠けているの
  ですね。もちろん、そうでない地域もありますが、我々も、隣人が火事を
  出すのでは?と思うと安心して生活できませんね。そうなると、介護計画
  で、埋められない穴は、ボランティアや地域のインフォーマルなサポート
  しか、残っていないのですよね。
   押しつけでない友愛の気持ちが 最も大切で、そのことが、ひいては、
  被介護者の生活を保障することになるのでしょう。


5. 「家族とは何か」夫婦関係を中心として、親子、兄弟等によって構成される
 集団である。これらの用件をすべて充足する必要はなく、夫婦の一方を欠く
 父子や母子でも、血縁関係を欠く養親子であっても、家族に含まれる。
                ↑
              森岡 清美
  家父長制の典型は、「家」制度である。家長の統率の元、家産を基礎として
 家業を経営し、先祖→子孫へと世代を超えて家系が存続する制度である。
  第二次世界大戦後、「家」制度は廃止され、性、年齢、続柄による家族
 構成員の不平等は解消されたかに見えたが、果たしてそうだろうか・・・・
  居住性と財産の継承を基準に、個人を犠牲にする考え方は、まだ、綿々
 と続いている。
  家族の機能については、もう考え直す時期にきている。
  家族の機能は、@生命維持機能(食欲、性欲) A生活維持機能(生活
 水準の維持)Bパーソナリティ機能(子供の社会化)Cケア機能(子供が
 病気になったら・・)の4つと言われてきた。

  しかし、結婚生活に経済的安定を求めることによるシングル化の傾向や
 寿命の伸びによる夫婦のライフサイクルの変化(子供の養育期間の短縮)
 そして、昔だったら、死んでしまっていた老親の介護期と女性のライフ
 サイクルは変化している。これらのことにより、家族機能はどう変わって
 きたのか?

  家族機能を外部化すること。以前は、家族の中ですべての欲求がまかなわ
 れていたが、今は、サービスを購入している。例えば、調理、クリーニング、
 育児、介護も外部化しているというより、するほかないのである。家事時間を
 短縮し、その分、就労し、その賃金で外部サービスを購入する。
  実際のところ、育児(保育所)、病気(病院)とケア機能さえも、外部化
 していることに気づくであろう。
  また、家族の成員間の意識も希薄化しており、孤食化(3食顔を合わせて
 食事している家族がいる?)、家計の個計化もあり、集団→個へ、分散化し
 ている。

  以上のように、家族機能が壊れたと言いたいのでなく、変化したと考える
 べきでそこに道徳がどうであるか云々とは、議論するものでなく、現実的に
 考えるとこのようです。こうなった場合、やれ、家は大切だとか、嫁は〜
 等の議論は、昔の家族幻想に囚われているように思えます。
  わかんないことを言ってるおじさんには、言ってやりなさい!
「とっくの昔、あなたの思っている家族は存在しない。礒野家なんて、どこにあ
 るの?」(て言っても、マスオさんは、サザエさんと同居の形態で旧来の日本
 のメジャーな家族形態ではないですが)   


6.畳の上で死ぬこと

 老人福祉施設に入所していたり、老人病院に入院していたりする高齢者と相談していると、
よくあるのが、退所や退院を拒否する方が、多いということです。これは、家族がいないとか、
経済的問題とか、つまり、家では、生活できないという方を除いてのことです。
 このことは、案外、知られていないのでは、ないでしょうか。

 最近の老人福祉施設を見学なされば、納得出来ると思いますが、とても快適です。地方で
は、個室の施設が増えてきていますし、綺麗ですし、看護・介護者の方々の質も格段に向上
しており、衣食住およびリハビリテーションを含む健康管理まで成され、同年代の方が多く、
友人もたくさん出来、行事も毎週あります。付け加えて、家族との関係調整も含まれており、
家族がいる方は、捨てられたと感じることも少ないのです。この流れは、高齢者だけに限らず、
その他、障害者施設も同様の流れにあります。(もちろん、何につけ、例外も多いですが、
多くの施設等は、10年前に比較すると、格段にグレードアップしています。)

 上記の件から、退所・退院を拒否する方が、多いのです。実際、外泊を行うと施設でのバリア
フリー環境での活動性と在宅では、行動範囲が大きく違いますし、健康管理も成されているので
食事等も含め、施設の環境が非常に、快適だと再認識される方が多いのです。
 もちろん、在宅生活がバリアフリーであれば、それに、こしたことはないですが。

 よって、「まだ、家に帰りたくない。」という方が多くなります。ここに、施設→在宅というのが
いいことだという短絡的な考え方が、崩れてきます。もちろん、利用者が生活する環境が、
整備されていれば、施設より在宅がいいのは、もちろんですが、世の中、そんな環境の方は
少ないですし、何より、人的資源が施設と在宅では差がありすぎます。

 「まだ、家に帰りたくない。もう少し、ここにおいて」と涙ながらに訴えるかたもいます。
それで、私は、入所者のみなさんに確かめたことがあります。施設は、確かに高齢者が生活し
易いように設計され、プログラミングされているわけです。それならば、「家より、施設の方が
いいのですか。」この問いに、大多数の利用者が「そうです。先日外泊したら、段差ばかりで、
転んだ。」「風邪引いても、安心だ」「歩行訓練もしてくれる」「うちの嫁は、職員みたいにやさしくない」
と答えが返ってきます。

 私は、究極の質問をしました。「畳の上で死にたいですか。それとも、施設(病院)のベッドがいいですか」
利用者のみなさまの答えは、こうでした。
「やっぱり、畳の上で死にたい」

 


7.介護保険の一次調査について

 今日は、認定調査の同行指導について、一言。いやー、調査員の方、ほんっと、真剣
ですねぇ。別に、ちゃかしてるとか、喧嘩売ろうとかそんなのじゃなくて、結局、とても
細かく、研修を受け、それについて、こんな場合はどうするあーするって、回答が出て、
その結果、一つ一つの項目についてあれほど、細かい取り決めが次から次ぎに、決定して
いった結果なのでしょう。

 ただ、とても大切なことは、その人の生活全般のなかから判断することだと思いたいです。
確か、ある施設から、「痴呆の人は、周囲への関心があるかどうかって、項目につき、もともと
関心自体がない場合、それ自体ないのだから、「なし」にチェックすると言われたのですが
よく分からない」という質問を受けました。なんだか、よくわからん日本語だな?っと、厚生
省の回答をみると、確かにそのような回答でした。でも、これじゃ、痴呆の介護をあまり知
らないケアマネがやると、すべて「なし」とする早とちりをしそう・・・・
 痴呆の方で、周囲の関心が完全になくなるケースは、随分、重度の方ですし、むしろ、珍し
い。一見、関心がないように見えて、本人は随分ありますよ。こういった、ケースは、気を
つけていかねば、というより、生活の中で判断する癖をつけないと、調査は困難です。
 そうなると、ケアマネは確かに、するどい観察力と洞察力が必要となるはず。

うっ・・・・・・・現実は、結構、暗いよね〜


8.地域福祉権利擁護事業について

 地域福祉権利擁護事業とは、とっても簡単に説明すると、大きな財産行為(土地の売買)を
除いて、日常生活上の様々な、金銭が絡む問題、例えば、電気料の支払いやデイサービスの費用
の支払い、銀行の通帳等の管理など、一般的に健常な方は、自分で行っているのですが、高齢や
障害があるため、行えない場合、生活支援員に契約の上、代行してもらうという事業です。

 これは、寝たきりの方が、契約したり、痴呆の方で金銭管理が出来ない方のため、非常に役に
経つことでしょう。一人暮らしの高齢者が、身体の都合が悪く、年金を取りに行けなかったりして
結局、電気代が払えず、止まってしまったり、痴呆の方が、症状で払わなければならない筈のお金
を忘れてしまって払わないなど、地域では、難しいケースが多発してます。一般的には、子供たち
が、代行したり、または、民生委員、近所の優しい隣人などが代行していました。

 しかし、当然のごとく、金銭の問題はトラブルに発展する可能性が大きく、善意が仇になること
もしばしば。そこで、この、地域権利擁護事業がいいのです。社会福祉協議会が、やることになり
ます。
  
 いいことばかりだと、つまらないので、デメリットもあげてみましょう。そもそも、地域で問題
になるケースは、痴呆で物盗られ妄想がある人で、このような方は、金銭管理が全く出来なくても
恐らく、この事業を利用する契約は結ばないでしょう、否、結ぶ能力がないかも知れません。この
場合、事実上、この制度は利用できません(県社協で云々、成年後見云々は後日・・)。これは、
ご自分で契約を結ぶことが可能な方のための制度だからです。っとなると、問題ケースについては
簡単に導入は出来ないでしょう。生活支援員の能力が、大切になりますねぇ。ただ、随分、助かる
方が出てくることは事実です。もたつきながらも、10月から、実施中。長い目で応援してみよう
では、ないですか。


9.ヘルパーさんについて

 ヘルパーさんて、本当に大変な仕事ですよね。現場の最前線です。最近、特筆すべきことは、
若い人材がたくさん、参入してきたことです。喜ばしいことですね。
 ただ、まだまだ、質という面では、一定しないのが現状です。一生懸命なヘルパーさんも
たくさん知ってますが、そうでない方も。これは、専門性を自覚しているかどうかなのでしょうか。
 最近あった、事例を1つ紹介します。

 先日、民生委員から、地域の一人暮らし高齢者を施設入所させられないかとの相談を受けた
のですが、その高齢者は、少し痴呆があるようで、記憶が時々、飛ぶことで、地域の住民を
不安がらせていたのでした。地域の方々からみると、独居生活は困難でこれから、冬場に向け
て、火の元が心配なことも施設入所を勧める理由なのです。

 はたして、その方の生活は如何に・・・・ということで、直接、本人に会ってきました。
確かに、軽度〜中度の痴呆は有り。ただ、絶対に一人で生活するとの希望でした。面接中に、
お隣の方が、様子を見に来ていました。デイサービスは、絶対に嫌とのことだが、ヘルパー
さんが週3回、訪問診療が2週間に一回、薬局の方が週1回、お隣さんが2日1回と関わって
いるケースでした。うーん、在宅生活でもいけるんでないだろうか・・・・・

 このことを民生委員さんにご報告に伺ったところ、民生委員さんは、やっぱり、在宅では、
無理だといって、譲りません。よくよく、聞いてみると、入っているヘルパーさんが、民生
委員さんにグチっているとのこと。ヘルパーさん自身が、「こんなひと、家でみれないわ」と
民生委員さんにグチっていることが原因のようです。
 はあ〜そうでしたか。民生委員さんからみれば、ホームヘルパーさんが言うのだから、間違
いないということなのでしょう。自分が一般の方から見れば、単なるグチでも、専門家の意見と
して、一人歩きしてしまう危険に気付かなかったのが原因でしょう。
 私自身も気をつけなければいけないなぁと思ったのです。誤解してほしくないのですが、
この事例でも、ヘルパーさんだけに責任があるとは、言い切れません。ヘルパーさんを指導す
る上司にも問題があると思います。いずれにしろ、愚痴りたくなるお気持ちも分かりますが、
一つ堪えなければいけなかったということです。人相手の仕事は、きついですね。

 

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