突っ走るミステリーな日々
その21.入院先で
私は、とある有名な公立病院(ほんとに有名)で、婦人科に入院してました。
結婚して、待望の子供が出来たからです。その時の恐怖の体験です。
これまで、金縛り以外、別にこれといった恐怖体験はありませんでした。
あの時がこれまでで、一番恐ろしかったのです。私が入院したのは、
有名な公立病院で、マンモスの総合病院です。看護婦もやさしく、不満は
ありませんでした。
出産が近づき、2人部屋に移されたのですが、その時、これまでいた6人
部屋の妊婦さんから、「あそこは、出るよ!」って、言われたんです。でも、
おっかない雰囲気の病院というより、超近代的な病院でまったく心配しません
でした。
その日に、夜中、金縛りにあったのです。私のおなかの上に誰か乗っている。
次の日も、そんなことがあったのですが、妊娠中の心の乱れと言われそうで、
主人にも黙っていました。
そんなある夜、金縛りと女性の泣く声が聞こえます。
「しくしくしく」
誰?誰なの?壁の隅を見ると、赤ちゃんを抱いた女性が恨めしそうに、私を
じっと見てるのです。私は、とっさに、流産した女性なんだって思いました。
でも、どうして、私のところに・・・・・怖さで、意識が朦朧としてきます。
目をやっとのことで、開けるとその女性が、裸足で私のそばに近づいて来ます。
音も立てずに・・・・・・・・
「来ないで!お願い!」
私の祈りも虚しく、彼女は、私のお腹をじっと覗きこみ、そっと真っ白な手を伸ばし
私のお腹に触れようとしました。私は、猛烈に何故か、腹が立ってきて、
「この野郎!とっとと消えうせろ!」って、その女性に、念じました。
ふっと、私の体が軽くなり、翌朝目が醒めました。
私の出産は順調で元気な男の子が生まれました。すくすく育っていますが、
あのときのことは、誰にも言っていません。でも、一体、あれはなんだったのでしょうか。
その22.東尋坊で
東尋坊。言わずと知れた福井県三国町の絶景です。切り立った崖が、素晴らしい
趣を見せています。もう一つ、東尋坊で有名なのは、「自殺の名所」であるということ。
富士の樹海も、たくさんの自殺を思いとどまらせる目的で看板があります。もりろん、
東尋坊にも看板が多く見られます。「ちょっと待て・・・・大切な命」やいのちの電話への
アクセスのための、公衆電話等、目的地に近づくまで、ここが自殺の名所であるという
ことに気づかざるをえません。
東尋坊は、その昔、2人の御坊さんが女性を取り合いし、酔ったところを突き落とした
その突き落とされた御坊さんの名前が「東尋坊」だとか。
さて、東尋坊から橋でつながった「雄島」。この島、直径数キロの神々の島と言われて
います。この島には、土地のものなら、一つ二つ恐怖話など知っているというものです。
橋では写真取らないこと(たくさんの手がうつるから)、雄島は順路で周ること(逆に
周ると怪奇現象が起こる。帰りには事故にきをつける)などがあります。
雄島の中には、神社があり、お墓もあります。
巷で有名な話は、3人の友人が島を一週しているとき、突然、真ん中の一人が立ち止ま
「俺たち、親友だよな。絶対、逃げるなよ」と言い、足下を指さすと、真っ赤なマニキュアを
塗った女の手が、その子の足を掴んでいた。後の2人は、一目散に逃げたそうです。
その子は、次の日、水死体で見つかり、残った一人も事故でなくなりました。最後の一人が
新聞社に駆け込んだ・・・・・というお話です。
そうは言うものの、こんな話は当時、訪れた私は、全く知りませんでした。そこは、普通の
観光名所だと思ってましたから。
当時、訪れたときは小雨の降る静かな秋口でした。平日だったことで、人影もまばらで
「雄島」も、正直、あるかないか分からない日でした。東尋坊からふと、見ると橋があり、
ああ、あの島に続いてるのかな?って思い、渡り始めました。
島に入ったとたん、やばいところだとすぐに感じました。入り口付近で、一周してきた
観光客にドキッとしたことを覚えてます。島に入るなり、真っ暗で、天気まで荒れてきた
のでした。引き返せばいいものをせっかくだからと、まわることにしました。それも、
「逆回りで」別に、わざわざそうしたというより、ほんとに、なんとなくという感覚です。
絶壁から繰り返す波の音。歩くのも、難しい岩の地形です。1分ほど歩いたでしょうか。
海を見たくなり、近づきました。
「まずい!近づいたらいけない!」
直感です。身の毛がよだつというのは、こういうことでしょう。黒く垂れた雲、ごーごーと
なる風、海鳴りというのでしょうか。生きるエネルギーがマイナスに近くなる場所・・・・・
聞こえます・・・呼ぶ声が・・・・
女性のか細い声?いや、すすり泣く声、ううん、違う・・・・
波の音にかき消されてるが、恨みのこもったうなり声でした。「戻らなきゃ・・・・・」
この島には、誰もいない。どっちから、来たのだっけ?ええい、狭い島なんだ。問題ない。
うっあれは、鳥居なのか?墓がある。気が動転してるのか、景色がぐるぐる回っているようだ。
自分の心の中に訴えてくる。自分の幼少の頃から、ひどいことをしたこと。後悔の念。
どうして、こんなマイナス思考ばかりが、ついて出てくるのか。「自分は生きてたって・・・・」
「生きる価値って・・・・」
ふと、我に返る。何考えてんだ。俺は?帰ろう絶対に。とにかく、歩けば、出口に着くはず。
そう、島は丸いのだから。出口が見えたとき、後ろは絶対に振り向かない。
恐らく、真っ青な顔で、橋を走って戻ってきたのだろう。あれ以来、東尋坊そのものに
近づきたくはない。心の弱い人は、絶対にあの島には、行くべきでない。東尋坊には、
何も感じなかったが、「雄島」は、強烈だ。今想い出しても、身の毛がよだつところだった。
その23.前田家の墓(苦手な人は、読んではいけません!)
この話は、アップしようかどうかずっと迷っていました。今想い出しても生々しいからです。
加賀百万石。前田利家公のことは、皆さん、ご存じでしょう。前田家といえば、前田慶次
郎も有名ですが、加賀藩の祖です。前田家は、参勤交代を始めたことでも有名です。
また、東大の赤門も前田家の上屋敷のものです。
ここは歴史のHPでないので、この話は、ここまでです。
前田利家の墓は、D寺山という市営墓地にあります。もちろん、山というからには、山です。
ここは、古くから、加賀の怪奇スポットです。
私が、高校生の頃、ここへ、おもしろ半分に肝試しに行くことになりました。夏の夜中、2時
頃のことでした。友人3人と登ったのです。
皆さんは、夜の山の暗闇の深さをご存じでしょうか?2メートル離れると夏のため白い洋服
を着ていても、闇にとけ込んでまったく見えません。従って、山道ということもあり、我々は、
ライターの火や手を打って音を出し、お互いの所在を確認していました。
昔から、「この墓地の周りを車で抜けるとブレーキが利かなくなる」や幽霊が出るので、有名
な場所で、噂にはこと欠きません。今更ながら、よく行ったものだ・・・・・・
さて、我々が山道を歩き、左に折れると一本道でした。その一本道は、両側がやはり大きな
墓(門があるような)で、その突き当たりが非常に大きな墓でした。その大きな墓の所まで、来
てふと、左側に目をやると、立て札がありました。「前田利家公の墓」。。。。。。。
「おー!ここだここだ。」友人たちが声をあげました。ほんとだ、ここが前田利家公の墓なんだ。
私は、ふと後ろを振り返り、自分たちの来た道を確認しました。細い一本道です。両側は全て
墓・・・・まるで墓のなかに一本の道が延びている・・・・・そんな感じです。
もちろん、2メートルくらいしか見通せませんが。。。やはり、灯りが全くないという闇は、ほんと
に暗い。日頃、本当の闇を経験したことがない我々は、改めて、闇の深さに感じ入りました。
「何も起こんないじゃん。」そっか、びびったけどねぇ。私は、来た道を戻ろうと帰路を確認しまし
た。ふと、3メートル程先の左側の墓の入り口(門のようなもの)から、霧が出ているのに気づき
ました。私は、山なので「霧か・・・・」そう感じ、ぼおっと見ていました。ただ、何か、納得できない
気持ちになりました。そう、変なのです。ここまで、読んできた皆さんは気づかれましたか?
冒頭にも書いたはずですが、闇の中ではほとんど、色を識別できないのです。ちょっと、はなれ
ただけで、見えなくなるのに・・・・なのに、その霧は、はっきりと分かるのです。
「おかしいな!?」私は、不安になり、もう1人の友人に聞いてみました。
「おい、霧、出てきてない」。友人は「ホントだ。えっ」彼は固まっていました。
その時、私も、固まっていたと思います。私が、見ていたのは、その霧なのですが・・・・・
その霧が、少しずつ、ある物体に変化していってるのです。ドライアイスがもくもくと流れだし、
それが、何か物体を形成していく!そんな、馬鹿な!私の正気を保とうとする理性とは、
うらはらにその物体は、少しずつ、完成していく・・・・・そう、
「人の形に!」
それは、中央に1人。左右にお供を連れた女性でした。着物を着ています。ああああ。
私は、呆けたように口を開けていたと思います。隣の友人も、その霧の出ていた箇所を
じーっと凝視しています。もう1人は、もう、しゃがみ込んで声をあげて泣いていました。
「だから、こんなとこ。来たくなかったんだ。嫌な感じだったんだ。どうすりゃいいんだ〜」
なに、いいとしして男の子が鳴き声あげてるんだ。冷静さを保とうと私は、彼を怒鳴りつけ
ましたが泣くばかりです。そのうち、その物体は、ゆっくりですが私たちの方に近づいてき
ました。ゆっくり、ゆっくり・・・・背後は、そう、前田公の墓。逃げ場はない!
私は、どうしたらいいか分からなくなってしまいました。極限状態であったことは間違いな
いでしょう。真夜中。山の墓地の中。高校生3人。一本道の逃げ場のない場所。そこに、
向かって、この世のものとは思えない何かが、近づいて来ている・・・・こんな状況で、正気
になってる方が変に決まってる。
そう、私は、腹が立っていたのです。何故だか分からないが、おかしくなっていたのでしょう。
友人に聞くと、大声を上げて、その物体に突進しようとしていたのでした。唯一、冷静な1人
が私を押さえつけました。「馬鹿!JABLIN.何する気なんだ」
「俺が。俺が。」(私)
「いいか。俺の言う通りにしろ」(冷静な友人)
「罰があたったんだ〜こんなことするから、おもしろ半分に!」(泣いている友人)
「黙とう、するんだ。確かに、おもしろ半分だった。黙とうしよう。みんな」(冷静な友人)
「何馬鹿言ってんなよ。もし、黙とうして目を開けた瞬間に目の前にいたらどうする!」
と押さえられながら怒鳴る私。3人で揉めている間にも、それはゆっくり、ゆっくり近づいて来る。
歩いていない。50pくらい、浮いているのです。
「とにかく言うとおりにしろ!」(冷静な友人) 「絶対、嫌だ。そっちの方が怖い」(JABLIN)
結局、その冷静な友人の言うとおりにすることになり、私の絶対「せーの!」でみんな同時に目
を開けることを条件に黙とうすることにしたのです。心から、謝罪するために。
目を閉じてる間、どれくらい長く感じたでしょう。時間にしたら2分ぐらいでしょうが。
目を開けると何もいませんでした。私たちは、そこらじゅうぶつけ、転びながらも一目散に逃げ
ました。帰り道、口を聞くものは誰もいませんでした。
しかし、恐怖はそれでは、終わらなかったのです。
その罰当たりな肝試しから、数日過ぎた日の朝食のことでした。父が、口火を切りました。
「最近、夜中に、雲のようなものが家の中に浮いている。変だ。」
母が言いました。「お父さんも。私も、よく見るのよ。どうしたのかしら?」
私は、ぞっとしましたが、2人に自分のしたことを告げられませんでした。というより、
「連れてきてしまった・・・・」その事実に直面するのが怖かったのです。
その日の夜、父が祈祷をすることになりました。それから、雲を我が家で見ることはあり
ません。
私たちのしたことは、静かに眠る故人の墓を土足で踏み荒らしたようなものです。
それ以来、私は、絶対におもしろ半分に墓場で肝試しをすることだけはしないと誓いました。
この話は、絶対に、おもしろ半分で読んではいけません。私自身、今でも身の毛がよだつ
ものです。恐らく、2人の友人もこの件について他言していないと思います。別に、人に話さ
ないように、約束したわけではありません。ただ、上手く説明できませんが、言わない方が
いい話だと思っていたからです。私が、ここでこの話を載せたのは、おもしろ半分で、墓地
を荒らしたことの反省とこういう場所での行為は慎んでいただきたいと警鐘を鳴らす意味か
らです。