ぶらんのぷよぷよ談話
−後書き−

 これを今読んでいるあなた、本当に有り難う御座います。

 突然何を? とお思いかも知れませんね。でもひとつ言えることがあります。この「ぶらんのぷよぷよ談話」(以下「ぷよ談」)は、私ひとりでは作れなかったに違いありません。ぷよら〜の間のコミュニケーションのおかげでここまで出来たのです。
 私が未熟な頃、そこがマズいとの指摘があり、強い人同士の対戦を見る機会がありました。私がいくらか追い付いて、ぷよ仲間と共に、この判断は良いとか悪いとか話しました。
 私が「ぷよ談」を作り始めて、こういう話が欲しい、こういう問題がある、という話が出ました。「ぷよ談」がぷよぷよの教科書でその内容の伝達がぷよぷよの教育である、などというのは私の高望みか誇張表現といった所です。それでも一応、教育はコミュニケーションのひとつだと思います。疑問点と回答を互いに理解し合ってこそ、真の成果が得られるのではないでしょうか?

 「伽藍(がらん)とバザール」という言葉があるそうです。比較的大きな物を作る時の方法について、制作者だけの閉じた世界の中で完成まで持っていく方法と、制作中の未完成版を公開しながら作っていく方法がある、という話だったと記憶しています。「ぷよ談」は伽藍かバザールか? ほぼ間違いなくバザールの方だと言えるはずです。最初は数枚のペーパーだけのつもりだったのですから。またそのことが、過去のぷよ講座と比較して根本的な違いであり特徴である、と思っています。
 先にコミュニケーションがどうこうとか言いました。実際、コミュニケーションは多種多様です。ぷよ技術のことだけがぷよら〜のコミュニケーションではありません。ある程度ぷよの腕の立つ人も、ぷよ技術以外でのコミュニケーションをよくします。いろいろな地域、年齢、学校や仕事、趣味、外見、性格の人たちがいて、そういう話もよくします。ただそういう話は人によってバラバラになりがちに感じられます。個性が大事なのも事実ですが、協調が大事なのもまた事実です。そして、個性と協調の両方を重んじる者が、そうでない者より成功に近づくという例は、いくらでも挙げることができます。まぁ、無難な数値(謎)は、

ぷよ:他の事1:他の事2:… = 30:10:10:…

くらいになるでしょうか?

 「もし…なら」。人生にそれはナンセンスだという話を聞きます。特に自分の過去について「もし…していたら良かったのに」と言うのはただの気休めに過ぎないのかも知れません。
 「もし私が大学生の間ぷよにハマらなかったら」。どうでしょうね? ただ、今の私はぷよぷよにハマっています。大阪大学に入って5年目になります。ぷよぷよを通じて出来た友達がたくさんいます。プログラミングとコミュニケーションの経験もあります。…それが今の私、過ぎ去った過去とこれから来る未来の間にいる私なのです。そして、そんな私でいいと思い、満足しているのです!
 もしこれを読んだあなたがぷよぷよにハマったら…?
 もしこれを読んだあなたの回りの人々がぷよぷよにハマったら…?
 どうでしょうね? 良いこと、悪いこと、いろいろ考えられるでしょう。でもそれはあくまで考え。事実・結果はひとつです。そしてその事実・結果に満足できるかどうかは、単にあなたの心次第ではないでしょうか?

 …案ずるより産むが易し。一度、ぷよぷよにハマってみませんか!?

(ANOTHER Message)
1999年6月10日 ぶらん拝