むかし、一休さんのトンチで有名なものに橋のネタがあります。
ある橋の前に一休さんは立ちますと立て札があります。
その立て札にはこう書いてありました。「このはし、渡るべからず」
しばらく考えた一休さんはピーンときました。そして橋の真ん中を堂々と渡ったのです・・・そうです、はし「端」を渡らなければいいわけです。
さて私事ですが、橋にはむかし苦い経験があります。
小学5〜6年だったでしょうか、通学路に木造の橋があり毎日渡っておりました。
山奥の小さい川の事、水量も少なく、橋の長さもせいぜい7〜8メートルだったでしょうか。
いつもは普通に橋を渡ります。
いつも一緒に通学していた近所の同級生とちょっとした流行(二人だけのはやり)がありました。
それは真ん中でも、端でもなく、橋の欄干の外を通る、というより競争するわけです。
欄干の外に、ぎりぎり足の幅くらいのスペース(両足は立てません)があり、欄干に手を添えながらどっちが先に橋向こうまでいけるか、とやるわけです。
ある日も「さあ、やろう」となり、ヨーイ・ドンとなりました。
不安定な足元に気をつけながら、同時に欄干につかまりながらガタガタ、バタバタと走っているつもりですが、まあ危なっかしいものです。
案の定半分を過ぎたころ、片足がつかず川の中へドブン。
落ちた僕はもちろんびっくりしましたが、一緒に渡っていた連れはもっとびっくりしたらしく、かつ落ちたという事実になぜか怖くなったのでしょう、僕を助けるどころか家へ逃げ帰ってしまったのです。
さて僕はといいますと、先にも記しましたようにもともと水量は少なく、落ちたところは石ころというより砂利で助かったようです。
左横から落ちたらしく、左ひじを擦りむき、腰が痛いくらいで済みました。
しかし体はブルブル震え、ベソをかきながら石垣をよじ登り、家へ帰ったわけですがもともと「やってはいけない」事をやっているわけで、両親に言えるわけもなく、痛い腰をさすりながらその日は寝たわけです。
一緒に渡った同級生も親にいえず、複雑な怖さを感じながらの一夜になったはずです。
次の日、登校する僕を見つけると、ほっとしたような顔をしながら、しかしばつが悪そうに「ごめん」とひとこと言われたのは覚えておりますが、ぼくはなんと答えたのか記憶にありません。
いずれにしろ一週間ほどで痛みはなくなり、結果たいしたことはなく、ちょっと昔の痛い、苦い、話でした。
それから数十年後腰痛で腰のレントゲンをとったところ、腰の一部の骨が欠けているといわれ、ほろ苦い昔話をおもいだしたものです。
この話を書く前グーグル・アースでその橋を確認してみました。
今でもしっかりその橋は存在しています。(当然ですが)ただ今だに木造かまでは分かりませんでした。
ところで先日「ロブ祭」と称するいつものお遊びを店でやりましたが、そのちょうど二週間前のことです。
土曜日看板を消し、ちょっと飲み過ぎ(いつもの事ですが)てしまい、着替えもせず椅子を並べ寝てしまいました。
数時間後気が付き、さあ片付けようとカウンターのグラスを持ったところ、左手首がおかしいのです。
グラスを持つとまったく力が入らず、グニャ、フニャッとなりグラスを持てません。
はて?しびれたのかな、と思いましたが、感触としてなにかおかしい。
グラスを持つその方向だけ力が入らない。試しに他の作業、手のひらを上に向け物を持ってみると持てます。
下にも力は入ります。ようするに一方向のみ力が入らないようなのです。
さて家へ帰ると嫁さんは起きています。その話をしながら「脳梗塞」と「不安」の文字が頭をよぎります。
一方向のみ、というのが解せない、日曜という事もあり、しばらく様子を見ようということになりましたが、ふとロブ祭でハーモニカを吹けるのだろうか、持てるのだろうか?、持てました。
まずは一安心です。
次の週になり、数日経ちすこしずつ改善しているようです。そこへ常連のある整形外科医が飲みに来てくれました。
その話をすると、一方向だけというのは「脳梗塞」は疑わしい。おそらく首から来たのではないか、となり、なるほど椅子で不自然な寝かたをしたことでもあり、妙に納得と、ほっとしたのであります。
事実ロブ祭の頃には多少違和感はありましたが、しっかり吹けるようになり、やれやれでした。
思うに、先に書きました「痛い」経験のほうがよほど「分かりやすい」し、それなりに何がしらはっきりしていそうですが、「痛くない」病気は何やらちょっと不気味なものであります。