今回は掲示板にも書いた「物の数え方」だが、結構面白いのでもうチョイ書いてみようと思う。
ある専門家によると(色んな専門家がいる)日本に500以上あるそうで、通常我々も100くらい何気なく使っているのだそうである。
「へ〜っ」と思いつつ、確かに思い浮かべるとさり気なくあるものだ。
以前アメリカの映画を観ていると、木の根元に“ひとり”の男が座っている。
そこへもうひとりの男がやってくると、その男に聞いた「ワン?・・」と一言、相手も「ワン」とこれまた一言。
さて字幕は「ひとり?」となっている。まあなんと“大ざっぱな”と思ったものだ。日本で“ひとり?”を「いち」という人はまずいないだろうし、通用もしまい。
まあ国民性の違い、文化の違いという事にして本題に入ろう。
ともかく普段意識しないまま、さり気なくかなりの数を使っているようである。ただ数であって数ではないような使い方もある。
たとえば相撲の世界では「一番二番」と数えるが、稽古の時は“いっちょう”もんでやろう、と言ったりする。「にちょう」とは言わない。
ついでに豆腐は一丁、二丁だが。
他に子供が一人しか居ない事を“ひとつぶ種”と言ったりするが、これも「ふたつぶ種」とはいわないような気がする。
事実「ひとつぶだね」を漢字変換すると「一粒種」となるが「ふたつぶだね」では「ふたつ部だね」と変換されてしまった。
上記の「ワン」とは違い、同じ物でもどんどん「数え方が変わっていく」。
ある意味ここまでややこしいのは日本だけでは?、と根拠なく思うのであるが、とにかくややこしい。
たとえばイカは一杯(いっぱい)と数えるが脚は一本と数え、スルメになると一枚となり、袋に入れると一袋、食べるとひと口、ふた口となる。
だらしなく食べるとひとくちゃ、ふたくちゃ・・・とならないよう上品に食べよう。
大きい魚は一匹もしくは一本と数えたり、下ろすと何枚に変わり、もっと切るとひと切れ、ふた切れとなり、
寿司として握ると一貫、捲くとなぜか一本、皿に盛ると一皿、容器によってはひと舟、とまあややこしい。
家は一軒と数えるが一戸建てともいう。また一棟二棟とも数える。
山は一山、一峰、一岳、何連山、また富士のように大きい山は一座と数える。どでんと座っているからだろう。
しつこいがもうちょっと書いてみよう。
音楽で言うところの一節(ひとふし)、ひと声に始まり、一曲、一小節、一楽章、また代何番といったりする。
手紙は一通だがEメールはなぜか一件、やっぱり件名からか?
タンスは一竿と数えるが、その昔竿で吊るして運んだかららしい。
釣りで言うところの一広、間口は一間、畳の一畳、反物は一反、階段は一段、薬は一包もしくは一錠、サプリメントになると一粒、とまああるものだ・・・。
まだしつこく書いてみよう。
本は一冊二冊だが雑誌は一誌、新聞は一紙となり、束ねるとひと束、となる。
葡萄やバナナは一房だがミカンや柿は一個と数え、籠に入れるとひとカゴ、もしくはひと山となり、ひと盛りともいう。
ついでにハコに詰めると当然一箱となる。
舟は一艘二艘と数えるがどこで分けるのか一艇ともいうし、大きい船になると一隻となる。
木製の椀はひと椀、焼き物だと“ひと碗”と字が違ってくる。
箸は一膳となりご膳として揃えると一客となる。
ちょっと疲れてきたのでそろそろ止めるが、とにかくあるものだ。
貨幣の単位や長さや重さ、今でもパンでいうところの一斤二斤や尺貫法などもまだ使われている様である。
何やらとりとめなくだらだらと書いてきたが、まだまだ出てきそうだがいいかげん最後にしよう。
靴、靴下は一足でいいとして、手袋は何と数えるのだろう。一双(いっそう)とかぞえるのだそうだ。
いよいよ最後にふさわしいのか良く分からないが、便器の数え方は?????。
一据え(ひとすえ)と数えるのだそうである。
読んでくれてありがとう。