しばらく酒豪の話が続いているが、今回もまたそれに続く。
酒は明らかに体の大きい人の方が強い、飲める、ということは以前書いた。
今回も大きい人のはなし元大関、小錦である。
僕が購読している北陸中日新聞であるが、夕刊の「この道」という色々な著名人がその人の「道」半生を3,4ヶ月に渡って書く欄がある。
そこにたまたま今書いているのが小錦である。
やっぱり大きい人は強いというか、相撲の世界だけに酒のはなしが出てくる。
まだ大関どころか幕下六枚目の頃のことである。
幕下六枚目というとすぐ目の前に「十両」という番付が見えているわけだが、よほど相撲ファンでない限り十両など気にもしない。
が、相撲の世界では十両になりやっと関取と呼ばれ、それまで大変な道のりなのである。
まず前相撲三番を取り序の口となる。
現在36枚目(72名)、つづいて序二段116枚目(232名)、三段目100枚目(200名)、そして幕下60枚目(120名)となり、それを勝ち越し、勝ち越し(幕下まで勝ち越し四番)やっと十両となる。
それからまた勝ち星を重ね、やがてというか、晴れて幕内となり、小結、関脇、大関、横綱、とまあ幕下以下から見ると途方もない距離なのである。
これは言い過ぎではない。
幕下以下から見ると大関、横綱など神様より上なのである。
十両以上は全て合わしても70名位しかいないが、前相撲から幕下までざっと600名以上いるのである。
それに幕下までは本場所の時ほんの手当て数万円、その段で優勝すると賞金をもらえるが他には一切金は当たらない。
ところが十両になると、突然相撲協会から毎月給料が貰えるようになる。
小錦の時代は30万円だったらしいが、いまは100万円を超えるらしい。
0が突然100万円になるのである。
予断だが幕内上位になると懸賞金が付くが、あの旗一本6万円、よく見ると先に何本か来た後すこし間を開け、また何本か付くことがあるが、あれは一本10万円(の筈)である。
ちょっと前置きというより妙な説明になってしまったが、小錦のはなしに戻ろう。
千秋楽を待たずに幕下六枚目で六勝一敗の成績、その場所は取り終えたわけである。
もう晴れて十両は間違いないし、その時点で幕下全勝力士が六人もいた。もう相撲をとる必要も無いだろう、という事で兄弟子がお祝いに居酒屋へ連れて行ってくれた。
当時流行のチューハイであるが、体がデカイんだからグラスなどと言わずにジョッキでやれ、と大ジョッキにチューハイをつがれ、グイグイ飲っていると兄弟子が「いい飲みっぷりだ」と言いながらどんどんお代わりを注文する。
結局数えたら大ジョッキで37杯。
通常のグラスでも37杯だとウィスキーと同サイズのボトルで二本分にはなるだろう。
ジョッキだからどの位の量が入っていたのかわからないが、その二本分の数倍になる事は間違いない。
しかしさすがに酔っ払ったらしい。
兄弟子は部屋の前までは何とか車で連れてきたらしいが、あまりの重さに玄関の前に捨て置かれたらしい。
小錦は自分で這いずるようにして部屋に帰り、ゴミ箱に顔を突っ込んで寝てしまったらしい。
それはいいのだが、それだけで終わらなかった。
次の朝大変な二日酔い。
朝稽古に出てこない小錦に親方の竹刀で叩き起こされ、なんとか稽古を済ませ、まわしを締めたまま、泥のように眠っていると、また竹刀で叩き起こされた。
前記したが、六勝一敗で取り終えていた、筈である。
ところが他にいた全勝六人が全員負けたというのである。
要するに六勝一敗が小錦含め七人となり、当然優勝決定戦という事になった。
二日酔いのふらふらの頭と体で挑んだのはいいが、ひとり目は何とか気力で押し出せたが、二人目にあっさり投げられてしまった。
親方にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
しかし実力者、それからとんとん拍子に出世し、大関となるわけだが、話の中にもう一度酒のはなしが出てきた。
初めての幕内優勝を賭けた琴風戦に負けたとき、その悔しさから部屋に帰っても気持ちが収まらず、下の力士を連れ飲みに行った。
ビールを大ジョッキでガバガバ飲んだがどうも酔わない、最後テキーラを一本ラッパ呑みしたそうである。
さすがに酔っ払ったわけだが、今度は前回と違い捨て置かれない。
もう立派な関取である。
下のものが数人がかりで210キロをウンショ、ウンショと部屋まで運んだそうである。
体の大きい人はやっぱりつよい、という話しである。
(参考のために、いま北陸中日新聞夕刊に連載中である)