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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

トニーという男

店を営って、あと数年で30年になろうとしている。
それが短いようでもあるが、たまたま飲み屋の事、一応長いほうの部類に入るだろう。 私生活に於いてはそれなりに多少の変化はあったにしろ、基本的にはさして変わっていない。
ひとりで店を営りだし、今もそれは変わらない。 仕事だから当たり前といえばそれまでだが、あの狭いカウンターの中(幅一メートル×四メートルくらい)を毎日ウロウロしているだけである。
それを30年近く、まあ我ながら飽きもせずやっているものだと、意味もなく感心したり、ひょっとしたら呆れたりするが、まだ終わっていない。 何らかの非常事態が起きない限り、これからも同じことが延々と続く、はずである。

かなり昔にさかのぼる。
当時年の頃なら20代の半ば、長身で常に黒のブーツを履いている。僕は30を過ぎた頃か。 飲みに来てくれるようになって一年くらい経った頃、ある日スコッチ・ウィスキーしか飲まなかった男が、突然バーボン・ウィスキーに変わった。 それもワイルド・ターキーである。
当時売り出しのハードボイルド小説の北方謙三に凝りだしたらしい。 僕も何冊か読んでみたが、たしかに主人公は常にワイルド・ターキーかジャック・ダニエルを飲んでいる。 じっさい北方謙三自身もターキーを好んでいるらしい事は何かの取材で知った。
通称トニーという。 もちろん日本人だが、これも突然「今日からトニーと呼んでくれ」と言い出したことである。 よく分からないがとりあえずトニーと呼ぶ事にした。

とにかく何かにつけ、めまぐるしい男だ。
その時はレストランのコックだったと思うが、しばらく顔を見せないな、と思っていたところヒョイと現れ、店を開いたという。 コックだから洋食屋かと思いきや「小物雑貨屋を開いたので一度来てくれ」という。
数日後かなり探してみたが、その店が見あたらない。 その夜彼に電話してみると、あんまり儲からないので店は辞めたという。
それからまたしばらく顔を見せない。 ある日僕は喫茶店でコーヒーを飲みながら、金沢のタウン誌に目を通していると、彼が三ページに渡って載っている。 なんでも米軍のアーミールックとロックンロールのレコード・コレクションで取材されたらしい。 何かにつけ忙しいことはいい事だ。

また何日か経ち、電話がきた。 今度2〜3年カナダかアメリカに行く、そこでしばし別れの送別会をやるので来てくれ、と言う。
当日25人も来ていただろうか。 いつ行くのかと聞くと、まだ決まっていないという。 先に送別会の日だけが決まったので、今日に至ったという。 なにやら訳が分からないままその日は盛り上がった。
それから何日か後、手紙を出すと言って、本当に行ってしまった。 なぜかスリランカへ・・・・・。
三週間くらい経ち、約束どおり手紙が来た。 仕事の内容は書いてなかったが、とりあえず元気であれば良い。
すぐに返事を書かねば、と思ったのだが、まあ2〜3年は向こうに居るとの事だし急ぐこともなかろう、と思っているところへ何気ない顔で、ヒョイと店に来た。 いまさら驚きもしないが、まだ一ヶ月くらいしか経っていない割りにはげっそりとやせている。 どうやら食べ物が合わなかったらしい。

それから金沢の老舗のBARで修行し、やがて自分でBARを開いた。 しかしその店も数年で閉め、その後ビルの窓拭き業をやりだした。
その頃からあまり店へ来なくなり、何年か経ったある日、一枚のハガキが届いた。 焼肉屋を開いたという。
その彼も今では嫁さんをもらい、子供もできた。 そして最近、支店も出した。もちろん焼肉屋である。

今までとにかく忙しい彼だが、まあ色々な事をやってきた、という事は、色々な事を失敗したとも言える。 だが彼はいつもそうだったが、その失敗を楽しんでいるかのように見えた。 たぶん彼の中では“何かが終わると、それは次の始まり”とでも考えているのだろう。 冒頭にも書いたが“動かない”ぼくから見ると、じつに羨ましくもあり、魅力的に映る。

<主のひとり言>  毎・月半ば更新いたします。