上百々女木町会

私達が居住する町の町名は昭和39年(1964)の住居表示の改正以降は石引1丁目(3番から4番の地番)である。それ以前は上百々女木町と称した。

百々女木の町名は藩政期の文化8年(1811)の金沢町絵図を見ると吾々の住んでいる町域から現在の宝町の長周寺あたりがとどめきと記入されている。

明治4年(1871)町名の改正が行われ、吾々が住む町が上百々女木町、源太郎川の急流が流れる往時の轟橋(現在は橋はなく、道路の下を流水)の向うが下百々女木町となった。

それ以来、私達の町会名は町名をそのまま町会名とし、昭和39年の住居表示の改正で石引町と改名されても、町会名は変更することなく上百々女木町会として現在に至っている。