朋友会
朋友会は旧町名では上欠原町、現在は石引2丁目22から25番、28番に居住される方々の町会の愛称である。
この町会名は戦時中隣町の一本松町と合併した際、両町を包括しての愛称であったが、終戦後は旧上欠原単独の町会の愛称として現在に至っている。
朋友会の母体である欠原町は寛政11年(1799)5月、欠原町一帯が地震のため人家の倒壊があった旨の記録(津田政隣の記録)があるとこから今からすでに200年前にはこの町が地子町の1つの欠原町として成立していたことは明らかである。
また、この欠原町周辺に慶安4年(1651)以降銃薬整合所があった旨も記録されている(金沢古蹟志)ところからこの町の起源はもっと古く遡ることが出来るかも知れない。
それはともかく、近代の世に入った明治4年(1871)、町名変更で私達の居住地域が上欠原町、旧中坂町、嫁坂町、瑞光寺門前が合併して中欠原町、裏石引町の16軒、本行寺門前、長谷院門前を合併して下欠原町となった。
爾来90余年を経た昭和38年(1963)の住居表示の改正で、伝統的な欠原の町名が失われ、広範囲な石引町2丁目の中に包含されたことは遺憾なことであった。