弓和会
町会名は弓ノ町に由来する。弓ノ町は如来寺の東にある町で、藩政時代にこの地が持弓足軽の組地であったところである。
天和元年(1682)に組地と射場が経王寺の背後に設けられ(金沢古蹟誌)また、如来寺の後方にも持弓足軽の組地があった。
ほかに六斗林、三社、長田の方にも持弓足軽の組地があった。
明治5年(1872)に如来寺の方にあった持弓足軽の組地が上弓ノ町、経王寺組の方が中弓ノ町となった。
また、下弓ノ町は家老横山家の一族横山正房(一万石)の家付同心の屋敷地が改称されたものである。
こうした由来で明治以降この上・中・下の弓ノ町の住居者によって町会が結成されてきた。
弓和会の町会名は昭和15年(1940)に町会が大政翼賛会の下部組織に入ったとき、すでにこの町会名が存在していた。
昭和39年(1964)の住居表示の改正でこの上・中・下の弓ノ町は小立野2丁目、小立野4丁目、同5丁目に跨ることとなった。
県立商業高校、県立盲学校、金沢少年鑑別所も弓和会の中に含まれている。