皇紀2685年 西暦2025年 我が思い
新しい年が始まりました。年の始めを何時とするかは、国や宗教により変わります。このページでは天文学的な冬至の日を元日としています。冬至には、太陽が一番低い日で、天文学的に明確である。そして冬至以降では、陽が長くなり、春に向かう日なのである。
一方気候的には農耕文化では、春分の日が農作業を始める時期に重なるため、元日としている場合が多い。
今も年度の区分が4月となっている。ただ、日々の月日を天文歴にすると、日時の計算がややこしい。
月日は世間と同じにしよう。 今年もよろしくお付き合いください。 2025年 元旦
皇紀2685年 令和7年 西暦2025年1月5日
北日本の人には申し訳ないが、雪のないお正月でした。
ただ、10日までにはドカ雪が降るのかな。心配。 今の自分には、お出かけも散歩にも行けず、ベットでの生活が続いている。
早く春になり、運転ができれば、私園に行き、掃除に掛かりたい。 その前に、少しずつ体力を付けていきたい。
2685年 令和7年 西暦2025年1月1日
明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。
暮れの検査結果が悪ければ、今年の初めに脳の手術を覚悟していましたが、まだしばらくはこちらに居られそうです。
正すべきことが沢山あり、百まではともかく、75歳を無事に過ごして片付けたい。
7時過ぎに初日出を見たく、下菊橋まで辿り着いた。車が止まる。何見ているのかと上菊橋を見たら、初日が出ていた。
医王山系には厚い雲が掛かっていたが、その上に初日が近づき、後光背が放射状に広がり、その下から眩しい太陽が顔出してきた。
思わず、手を合わせて、今年一年安寧に終わる事を祈念した。
家路について路地から我が家に着くと、真正面から太陽が照らし出してきた。
皇紀2685年 令和7年 西暦2025年1月1日
明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。
暮れの脳内検査結果が悪ければ、今年の初めに脳の手術を覚悟していましたが、まだしばらくはこちらに居られそうです。
正すべきことが沢山あり、百まではともかく、75歳を無事に過ごして片付けたい。
7時過ぎに初日出を見たく、下菊橋まで辿り着いた。車が止まる。窓開けて何見ているのかと上菊橋を見たら、初日が出ていた。
医王山系には厚い雲が掛かっていたが、その上に初日が近づき、後光背が放射状に広がり、その下から眩しい太陽が顔出してきた。
思わず、手を合わせて今年一年安寧に終わる事を祈念した。
家路について路地から我が家に着くと、真正面から太陽が照らし出してきた。
皇紀2684年 令和6年 西暦2024年12月31日
今年も最期の日を迎えた。
8月のお盆にまた、圧迫骨折してしまい、その後も、いくつもの内臓機能の低下による治療が続いた。
師走に入り、入退院を繰り返し、遂に脳外科の診察を受けた。造影剤で脳内部の血管の精密検査を受けた。
最終的な診察結果は1月に聞かされるが、担当医からは検査中に、血管はきれいに映ってますよ と。
検査中のトラブルで、もう駄目だと覚悟を決めていたら、先生はそんな私を落ち着かせるために、声かけてくれた。
検査のストレッチャーの上で、思わず涙目になってしまった。
ただ、血液をサラサラにする錠剤が1個増えた。
今のところ、春には私園の手入れには行けると思う。春が待ち遠しい、
この後、お正月寒波がやってきて、けっこう積もりそうな雰囲気である。
園内の枝折れが沢山出そうである。 立木に登れない私の代わりの自然剪定である。
春一番に、この枝折れ枝や幹を始末をしたい。
今、私園内にはイノシシ、サル、シカ、など動物たちが一杯来ているらしい。
そんな動物たちとも、仲良く遊びたいなあ。
暮れに訃報を知らせてくれた町会長から、日吉神社のしめ飾り作業で、小松の方から、私園が美しく管理されていると。
麦口の町内で管理しておられるのかと聞かれたと。
亡きお父さんの遺志を継いで、兄弟姉妹が管理しておられますと。
国道の傍なので、いろんな人が立ち寄り、散策されているようで、つい嬉しくなった。
片付いたら、また、春、桜の時期、あるいは何かが咲いているはずなので、いつでも立ち寄りいたただければと思う。
病がちな管理人
出来る限りのことしながら、旅立ちの準備して過ごしたいと願っています。今年も拙いページですが、よろしくお付き合いください。