皇紀2684年 令和6年 西暦2024年12月16日
故郷から訃報が届いた。子どもの時に生家の隣で生まれた子が、亡くなられたと。
初めて生まれたばかりの赤ちゃんを見た。 そんな方が突然、逝かれた。
お正月の新しいしめ縄奉納を済ませた後に悪くなり、病院にすぐ行かれたが、間に合わなかったと。
中田秀秋君、お世話になったおっちゃんの息子が、63歳で旅立たれた。
 合掌 南無阿弥陀仏。
73歳の私は働き盛りとと言われても、100歳まで待てと追い返せるだろうか
渋沢栄一の名言「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ 

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年12月5日
どんどん暮れが迫ってくる。 まだ初雪がないが、来週には寒波がやってくると言う。
昨日は消化器科と腎膠原科の診察 肝臓は少しずつ数字は良くなっているし、多嚢胞は変化がないと言う。
先月から始めた腎臓の投薬も少しずつ良くなっているという。
少しは希望が出てきたが、年末には一時入院しての検査がある。
来年は、良い年にしたいが、どうなるかは検査次第。 良き年を期待したい。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年12月2日
はや、師走に入った。昨日は、姉が行けない私の代わりに、生家で、亡き兄の命日のお参りをしてくれた。
その帰りに立ち寄ってくれて、紅葉のきれいな私園を尋ねてくれた。ありがたい。
私園の紅葉は、入り口から始まり、次第に川べりへと続いてくれ、12月半ばに新雪とともに終焉となる。
今日は、素敵な紅葉と散紅葉が見られるはず、数年後には流出した川べりの紅葉も復活したい。
早く、私園の手入に戻りたいと思う。 管理人

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年11月21日
もう十一月も半ば過ぎた。18日に退院して、20日に他の科の診察を半日かかりで終えた。
来月の診察予定や入院も決まった。春まで、こんな日々が続きそうである。
待合室で、携帯に訃報が入ってきた。
火野正平さんが亡くなられたとの報である。寂しい。
私と同じ腰椎圧迫骨折になり、NHKBSのこころ旅を休まれていて、春の旅で元気な御姿に会いたかった。
ほとんど見てきたが、年とともに体力が無くなっていく姿を見ているのは辛かった。
私と同い年であり、我が身が重なっていたのである。この360号国道も、いつか立ち寄りいただければと思っていた。
が、もう叶わない。こころより、ご冥福を祈ります。
私がこころ旅を楽しみにしながら、別の関心を持っていたのである。各地の川や道の状態が分かるためである。
地質屋としてあるいは河川に関心を持っている者からすれば、とても素晴らしいフィル―ドを見せていただいたのである。
ありがとうございました。おかげて、ベットにいながら、各地の状態を知ることが出ました。
そうしたことを少しでも元気になって、世の人たちに伝えていきます。命尽きるまで。 管理人

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年10月31日
冷え込んで来たが、昼は日差しがあり、暖かくなってきて、秋晴れに戻った。
先週の金曜日から、ようやく子ども交流館前まで、散歩が出来た。
帰りに上菊橋の中央で、ベンチに座り、犀川上流部を眺めていた
かつてあった鞍月用水堰を思い出し、思わず、涙が出てきた。

平成に入ってから、子どものサッカーの見守りで、中州から子どもやボールを見ていた。
そして、平成15年の春から、犀川の治水に興味を持ち、正面に横たわる鞍月用水堰のコンクリートを不安を持って見ていた。
当時開かれていた犀川整備検討員会では、犀川大橋で片町側に溢れると言っていた。
しかし、鞍月堰では河床が4mほど下流より高くなるのに、両岸の堤防はほぼ水平であり、大雨の度に芝生が濁水に浸かっていた。

だが、委員会では堰から上流側は、治水議論の対象にもなっていない。
雪見橋付近で溢れたら、道路沿いに城南、菊川、幸町、そして片町のスクランブル交差点までが、
濁流の川となり、何万という人たちが、小立野に逃げることしかできない。
我が家は、もちろん水没であり、その時は如何すれば良いか、怖くなるばかりであった。
古い下菊橋は、何時流されるか、恐ろしい光景が想像できるのである。

どうすべきか、災害に関わってきた自分が何を出来るか、しなければならないか、問答していた。
河川計画係長は、堰付近は1230m3/秒以上の流下能力があると言い張る。
こんな職員ばかり。
15年以来、多くの県職員とこの河原で、話し合いをしてきたが、まともに話ができる人は2、3人だけでした。
あとは、機械仕掛けのロボットのような人たちばかりでした。
人と人で、話が出切る方がいなかった。
寂しい事でした。    続く


皇紀2684年 令和6年 西暦2024年10月26日27日
北信越ホタル研究交流会が、白山市河内内尾の千丈温泉新館で、開かれています。
北信越の各地で活動しているホタルの会の仲間が、30数名集まり、渡津のホタルの里の巡検と夜には懇親会があります。
明日は午前中、各地での活動報告が行われ、午後には散会します。
散会後に、私の管理する公園を見学していただきます。
この公園のかすかみ川は、ゲンジボタルの生息地で、水害を受けたために今は絶滅しましたが、
数年のうちに橋の上から群舞するホタルの光が見られるはずです。
そうしたホタルの復活を見守っていきます。
残念ながら、病気と怪我をしたために、管理人は現地案内できませんが、またいつか会えればと思います。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年10月15日
骨折から2カ月、初めて犀川下菊橋から上菊橋を散歩した。 おぼつかない足取りであるが、少しずつ伸ばしていきたい。
町内のキンモクセイが、一斉に満開になった。足を止めて匂いを確認した。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年10月10日
むかしの体育の日 当時もきれいな秋晴れであった。 しかし、今の我が身は療養途中で、外歩きも許可が下りない。
骨折はほぼ治ったらしいが、手足の震えが酷くなり、安定した歩行が難しい。
いろんな内臓の障害もあり、春まで治療が続く。 来春にはユックリで良いから、散歩や作業ができるようになればと思う。
私園は、彼岸花が終わり、あと暫くで、紅葉が始まる。知人や同級生が写真を送ってくれるので、待ちたい。
10月17日が中秋の名月を見ながら、秋を見送り、冬を迎える。そして、また、早春が巡ってくる。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 9月29日
もう10月に入る頃で、気持ち良い秋風が吹いている。25日に胃カメラ検診と圧迫骨折のレントゲン撮影をした。
胃内異常無しと骨折部もほぼ完治していると。 良かった。
しかし、内臓器官の諸数値は相変わらず悪くて、10月に一時的な入院することになりそうです。
満開を迎えている曼殊沙華の花畑、今年はかないそうもない。春まで、我慢だ皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 9月1日

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 9月17日
転んで圧迫骨折してから1月が経った。今、2階から1階に下りる事から歩行リハビリ中。
あとしばらくで、私園の彼岸花が満開を迎える。
まだ猛暑が続いているので、来月初めに満開かな? 写真は農道脇の群落で、昨年の9月30日。
手入すらできない日々であるが、来年に備えて体をしっかり治していきたい。

今日は関東大震災から100年目の記念日で、防災の日とされている。
実はお盆の15日に私園で少しばかり草刈りをしていて、誤って転倒してしまい、再び隣の胸骨が圧迫骨折してしまった。
コルセットで、固定し、固まるのに数カ月はかかると診断された。
当分、外の仕事は出来なくなり、春まで、休むことにした。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 8月3日、目が覚めて、生きていることを感じる。
そんな中で、故郷では、水害後の災害復旧工事が進められている。 私園の河畔の護岸工と、橋の架け替えも完成した。
報道によれば、酷かった中ノ峠町の河川改修工事が完成したという。 河床掘り下げ工事で1m程河床を下げたらしい。
しかし、意味が判らない工事である。 水害時も流下断面不足で川水が氾濫したわけではない。
見た目には立派な護岸であるが、次の水害では護岸が壊れないことにより、両側の民家が被災するのです。
復旧工事により、新しい水害の危険が増しているのです。
中海町の工事も、上流側の狭窄部の拡幅工事をしたけれども、現状では治水効果はほとんどない。
今回の水害は、銭亀橋に上流部の斜面災害の結果、杉の立木が流木となり、流下能力が少ない場所で水位が高くなり、
浮いて流れてきた根株が橋桁に引っ掛かり、横倒しで橋上流側を堰き止め、上流側は氾濫するに至ったのです。
つまり、今後の洪水を防ぐためには、下流側の流下能力を上げる必要が急務なのです。
下流の水位が低くなれば、中海の氾濫した部分の水位も低下するのです。
また、流れを阻害している用水堰も取り除く事で、水害と環境対策になるのです。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 8月3日
今日は、梯川水害から2年、個人的には糖尿病に倒れ、胸椎圧迫骨折した日から1年経った。 朝、目が覚めて、生きていることを感じる。
そんな中で、故郷では、水害後の災害復旧工事が進められている。 私園の河畔の護岸工と、橋の架け替えも完成した。

報道によれば、酷かった中ノ峠町の河川改修工事が完成したという。 河床掘り下げ工事で1m程河床を下げたらしい。
しかし、意味が判らない工事である。 水害時も流下断面不足で川水が氾濫したわけではない。
道路脇にあった納屋が崖崩れの土砂により押し出されて川の中に落ちて、橋にぶつかり、川が閉塞された。
本流の高水が道路や民地を流れ下り、道路が浸食されて護岸コンクリート壁が川側に倒れてしまった。
護岸と、道路敷きに埋設されていた水道管と下水管が破壊されたのである。
護岸擁壁は、県道時代に土木事務所が設置したが、根入れ長さが確保されて居らず、水害には耐えられなかった。
今後の洪水を防ぐためには、両岸の家屋背後の急斜面対策と、集落上流部の河畔の不安定な杉の立木を整理する必要がある。
また、両岸の集落を結ぶ橋の、整理統合することが必要なのである。
見た目には立派な護岸であるが、次の水害では護岸が壊れないことにより、両側の民家が被災するのです。
復旧工事により、新しい水害の危険が増しているのです。

中海町の工事も、上流側の狭窄部の拡幅工事をしたけれども、現状では治水効果はほとんどない。
今回の水害は、銭亀橋に上流部の斜面災害の結果、杉の立木が流木となり、流下能力が少ない場所で水位が高くなり、
浮いて流れてきた根株が橋桁に引っ掛かり、横倒しで橋上流側を堰き止め、上流側は氾濫するに至ったのです。
つまり、今後の洪水を防ぐためには、下流側の流下能力を上げる必要が急務なのです。
下流の水位が低くなれば、中海の氾濫した部分の水位も低下するのです。
また、流れを阻害している用水堰も取り除く事で、水害対策になるのです。
犀川でも沢山ある堰を、全て上流側に移設したのです。水利権は水を取る権利であるが、
ポンプアップ法や、堤内水路や堤外水路で上流側で取水すればよいことのです
梯川、かすかみ川も、手取川の白山合口堰のように、既設堰の整理統合をすれば、治水にも環境にも役立つのです。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 7月27日
朝から私園の残りの草刈りと、清掃を行っていた。
が、途中から暑くてラジオで小松大谷高校の野球の応援で過ごした。見事に星稜を破り、甲子園石川県代表になった。
我が家のお寺の本光寺は浄土真宗大谷派の寺で、この学校の出来た当時からの応援団です

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 7月21日 
昨日は、夜明けに雨が降り、気温も低かったので、私園の作業に行くことにした。 途中で姉夫婦が手助けに来てくれて、除草をしてくれた。
6月から剪定したサツキと、生家の周りの剪定枝葉をようやく焼却出来た。
8月に入ったら、アジサイの花柄を落して、回りたい。
8月末か、9月初めにもう一度彼岸花の咲く部分の草刈りをしたい。 
お彼岸の中日頃には、ヒガンバナの絨毯が見られるはず。熱くなるので、曇りの日に行けたらと思う。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 7月20日
腎臓の診察結果で、9月まで様子見となった。若い先生がいろいろと考えてくれているが、なるようにしかならないと思う。

今朝は梅雨明けかなと思ったので、私園の整理作業、しかし、濡れた枝葉は燃えにくい。
昼近くなって、やっと燃えてくれた。半分しか片付かなかったが、2時には帰宅した。
お盆前には一度草刈りもしなければ、先祖に申し訳ない。
岩井戸の滝を眺めて、崇徳院の百人一首を思った。
流れは時々双筋や三筋に分かれるが、また必ず一筋に戻れるのですね。
でも、讃岐に流された崇徳院は、都で別れた妃には生きている間は会えなかった。

人との付き合いもそうありたいが、遭える前に逝くことになるかも。本格的な夏がやってくる。
昨年は24日に緊急入院して、生かしてもらい、1年が過ぎた

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 7月8日
ここは、令和4年8月4日の水害時に梯川が氾濫した場所である。
国は右岸側の護岸を新しくして、軽海側には仮締切護岸を設置した。
新しいアスファルト部は4日の越流部で、20p程度嵩上げされている。
梯川に、かすかみ川と仏大寺川が合流する大事な部分を狭くしてしまった。
県道の橋台護岸部は計画断面積であるが、上流側は左岸部に大型ネット工の仮堤防により橋脚部まで狭くなっている。
橋脚より左岸軽海側は、堤防を引き堤する計画であるが、それまでは川幅は半分にしてしまった。
下流側寄り州部の植生は、大半が水害時と同じになっている。
今年の梅雨や台風時には、どうななるのだろうか。


皇紀2684年 令和6年 西暦2024年6月30日
私園の刈り込み作業を2日間続けた。 まだ終わらないが、大分進んだ。 
姉が応援に来てくれて、切り枝を欅の下に積み集めてくれた。
土曜日は、大学の友人が手伝ってくれて、イチイやサクラの幼木の刈り込みをしていただいた。
後は、川べりに近い部分のサツキの剪定だけになった。 サツキの株を切ると、2年前の水害のゴミがあることに気が付いた。
当時、水深1m程の洪水が園内を流れ下り、流木やゴミを残していった。
知人や同級生の助けをお願いして見えるゴミは片付けたが、サツキの株の中には気が付かなかった。
一度、強剪定をして根元から切り取り、ごみも掻き出して片付けしたい。 
サツキが終わる頃には、アジサイの剪定が待っている。私園の刈り込み作業を2日間続けた。 まだ終わらないが、大分進んだ。 姉が応援に来てくれて、切り枝を欅の下に積み集めてくれた。

土曜日は、大学の友人が手伝ってくれて、イチイやサクラの幼木の刈り込みをしていただいた。
後は、川べりに近い部分のサツキの剪定だけになった。 サツキの株を切ると、2年前の水害のゴミがあることに気が付いた。
当時、水深1m程の洪水が園内を流れ下り、流木やゴミを残していった。
知人や同級生の助けをお願いして見えるゴミは片付けたが、サツキの株の中には気が付かなかった。
一度、強剪定をして根元から切り取り、ごみも掻き出して片付けしたい。 
サツキが終わる頃には、アジサイの剪定が待っている。ただ、我が身が持ちこたえてくれるかが、心配である。
ただ、我が身が持ちこたえてくれるかが、心配である。

 皇紀2684年 西暦2024年 我が思い

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年6月23日
2日間、農道沿いのサツキの株を根元から切り取った。 昼には姉弟4人が集まって父と義姉の法要を行った。
午後も少し作業して、家路についた。今週末には知人たちが剪定の手伝いに来てくれると。
良き友達と大学の同窓生が居てくれて、とても助かっている。 

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年6月20日
寄せ植えのサツキの山をなんとか切り終えた。
根元からの切り戻し剪定なので、しばらくは寂しいが、バラの花のような八重咲のサツキが再び咲くはず。
根本を見ると、一度切り戻したらしい。記憶にないが。 
残りがまだまだあるので、来週に半分ほど切って止めることにしよう。
来月に入ると、再び再入院することになるかもしれない。秋まで作業は出来ないかも皇紀2684年 令和6年 西暦2024年6月17日
土日は私園の手入に行った。 病気になってから、高い木登りは出来ないので、低木の手入することにした。
園内の低木として父は、沢山のサツキやツツジを寄せ植えして逝った。
毎年刈り込みはしていたが、株が大きくなり、通路が狭くなり、 クマの隠れ家にもなり、農道からの見通しが効きにくくなってきた。
思い切って、根元から切り戻すこととし、チェンソーで一気にと思ったが、そう、うまく上手くいかなかった。
太い幹が根曲がりしていて、滑り、うまく切れない。 手鋸で切った方が早い。 4株ほど切ったが、まだまだ、沢山ある。
月末までに切り終えたいが、明日から、病院で診察がつづく。その後は梅雨に入りそうである。
内臓に何もなければ良いが、心配でもある。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年6月11日
兼六園に散歩してきた。 何か園内が静かで、作業員が見られない。カキツバタの様子を見て、桂坂から出でフラットバスで帰宅。
昼のニュース見ていたら、梅林で梅の実収穫日で、全員が梅林にいたらしい。
6年間この梅の実の収穫していたのである。余った梅が配られるので、毎年梅ジュースを造っていた。
もう、甘いものは飲めないので、必要がなくなった。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年6月9日
昨夜、白鳥路で今年初めてのホタル観賞に行ってきた。
多くはなかったがゲンジ十数頭が、曲水の真上の空間を飛び回ってくれた。
 ありがたい光であった。
歩いて、行き戻りしたが、血糖管理が難しい。気を付けないとね。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年6月8日
ホタルのシーズンに入りました。各地からそして故郷からうれしい便りが届きます。
毎年、毎晩、蛍の飛翔地のはしごをしていましたが、病気の体では難しい。
みんなの便りを転載しておきたい。 
小松の岩渕の対岸の水田排水路で、ゲンジが出て居る。
そして、故郷の麦口のビオトープには、ヘイケボタルが飛び、ゲンジもいるはず。
そしていよいよ、金沢ではまだ早いが、井戸水の白鳥路ではホタル観賞会が始まった。
雨がないため、羽化が遅れている。 なんとか行きたいなあ。
ホタルにも会いたいが、沢山の子供たちが来てくれて、質問が楽しみでした。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年6月1日
今日から6月。昨日から金沢では百万石まつりが始まり、お昼には利家入場の百万石パレードが行われる。
天気は快晴で、暑くもなく素晴らしい一日となりそうである。
前田利家は、七尾城にいたのであるが、秀吉に従って加賀、越中、能登の三国の百万石の大名となり、
6月14日に宮ノ越から尾山城と呼んでいた今の金沢城に入った。 
この日を記念して百万石祭りとなったが、日時からすると、梅雨に入る時期であったので、途中で6月最初の土曜日に固定された。
6月初めは確かに天気が良いと、今年も沢山の観光客が来ていただけると思う。
こんな日であるが、健康を害した今の私には、祭りにはとても行けそうもない。 

報道で見る祭りであるが、楽しむことにしたい。土日と私園の作業に出かけた。
工事が終わった橋への農道脇が、草ぼうぼうとなった。完成した橋を週末には見に来る人が多くなる。
それまでに、草刈りと落ち葉の掃除をしなくてはならないと思い、法面や水路に繁茂した草刈りをした。
30日に最後の仕上げをして、園内も一通り、草刈りして完了としたい。
来月に入れば、熱くなり、今の体力では、とても作業が難しい。
すこし、間をおいて、様子見としていきたい。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年5月19日
午前中、金沢ホタルの会の総会が開かれた。 
議事の後、情報交換。市内の海岸沿いではヘイケが飛翔していると報告。昨年より1週間ほど早い。
小松の粟津あたりも沢山飛翔が始まっていると思うが、もう夜間の遠出は難しい。
市内だけでも行けたらうれしい。 
秋の10月26日、27日に、北信越ホタルの会交流会が、石川県の担当で、セイモアの温泉で行われる。
その交流会の後に、私の私園の紅葉と、今後のホタル復活計画を見てもらうことにした。

午後兼六園の散歩。体力作りとカキツバタを見に行った。
一度枯らした群落は、なかなか元に戻らない。
自然を変える時には、将来を考えてしないと、と思う。
来週からある渓流で堆積土を取るという。 ホタルの飛翔するこんな時期にするのかと思うが、見守るしかない。
ホタルの生育している河川や渓流は、決して荒廃しているわけではない。 
人が棲んでいる場所が、水害を引き起こしているだけである。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年5月18日
やっと故郷に行き、生家の周りの草刈りを終えることができた。 
ビオトープの中西のお父さんと話が出来て、亡くなられた連れ合いの愛子さんも糖尿病でいろんな合併症を抱えて居られたらしい。
そんな体で、庭の手入れや、我が生家の隣の水田を、年中水張をして、当初はトンボの楽園にしたかったらしい。
私が、五月末からふるさとの各地をホタル観察して生家に帰ると、
なんと我が家の周りの農道沿いで、ヘイケが乱舞しており、みんなで観賞会を出来た。
水田に除草剤や薬剤散布しなくなっていたために、自然に生息しているホタルの楽園になったのである。

私園に立ち寄ると、工事用の仮設鉄板は撤去されて、月末の完成検査待ちで、ほぼ災害対策工事は終えられたらしい。
しかし、担当からは何の連絡もない。これから私が後始末しなければならないが、どうすればよいのかな。

工事のために敷かれた砕石と山砂が園内に被っているため、私には元の植生に戻す作業がある。
地山にあった彼岸花の球根や、工事のために仮移植した木々を戻さねばならない。
しかし、これから暑い季節の作業は、今の自分には難しい。
しばらく放置して、生き残っている球根や木々が芽を出す梅雨明けまで待ちたい。 秋にその様子を見て木々の移植をしたい。
彼岸花の球根は、すでに夏眠状態なので、お彼岸の頃に生きている球根があれば、花茎を出し、遅れて葉芽が顔を出してくれるはず。
今日は出来なかったが、ポンプで散水して山砂や地山の土に水分を補給したい。
昼過ぎに羽咋の知人が立ち寄ってくれた。
小一時間の草刈り作業と雑用をしただけでしたが、疲れた。明日は休んで来週作業したい。

 

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年5月15日
病院で、いつもの内科診察を受けた。 特に変わりがないと。 治る病気ではないので最期まで付き合おう。
大きな勘違いしていて、来月6月に免許更新と思っていて、白内障の手術まで済ませたが、更新のはがきが来ない。
改めて免許証を見たら、あはは、来年でした。 なんか得したような、損したような。
まあ、1年は運転できるわけなので、良しとしよう。
作業が待っているが、なかなか血糖値が落ち着かない。 
昨日診察を受けたばかりで、今日の午後、再び病院に相談に行き、再診察してもらった。
明日は1日お休みしよう。 土曜日に、久し振りに生家や話私園を一周りしてきたい。
日曜日は、ホタルの会の総会であるが、行けるかどうか土曜日の様子見て決めよう。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年5月6日
ふるさとの生家の隣にあるビオトープの発案者愛子さんが、傘寿の歳に本土におかえりになった。
お見送りのカキツバタが、もう咲いていた。いろいろとありがとうございました。 南無阿弥陀仏
私園に植えたカキツバタは2年前の水害で、全て流されてしまった。
今、別の場所に昨年移植したカキツバタが、今年は咲くかどうかは判らないが、
やれる範囲で、杜若と池に住むホタルを見守っていきたい。
兼六園の曲水の杜若も、すこしずつ回復しつつある。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年5月2日
サクラも終わり、新緑のモミジ、いろんな花色のツツジに変わります。
私園内も花が変わり、藤の花が垂れ下がり、ツツジやサツキに入れ替わります。
一昨年の水害で傷んだ木々を切り戻したため、今年は花芽が少ない年である。
こういう年こそ、しっかり手入して来年以降に、沢山咲いてくれるように剪定をしないと。
今、数本ある能登キリシマツツジが咲き出す。小さい苗木なので、少しずつ大きくなっていくはず。
農道橋の工事がほぼ終わり、護岸背後に隠れている下草やサツキなどの下木、アジサイなどを移植して河畔の景観を復元していきたい。
大杉の牡丹観賞会は、もう早咲きが満開であり、中咲、遅咲きが咲き続ける。
5月11日には小松市主催の牡丹観賞会が行われ、瀬川亭別荘にはキッチンカーも出るそうです。
近隣の方は、お出かけください。

連休の後半は天候が良い。出来る限り私園に出かけたい。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年4月18日
花見が終わり、令和4年8月4日の水害で通れなかった農道橋の架設ができた。
園内では、今は関山と松月が満開である。最後には兼六園菊桜が咲く。
まだ、工事中なので、対岸には行っていないが、多くの生き物達が行き来してくるはず。
右岸側の浸食された河畔は、コンクリート擁壁の人工護岸となったが、
河床と河岸は開削と拡幅により岩壁を残した川畔となり、以前の自然な岩井戸渓谷に戻して行きたい。
右岸の私園側には、今下敷きになっている彼岸花や水仙、シャガーなどで覆い、花木のサツキやアジサイを植える。
園内側に高木として、サクラやモミジを配置し、川障りの木にしたい。
新しい渓谷景観が戻るのには時間がかかるが、不治の病の私には、果たして見届けできないかもしれない。
明日、他の園内の除草作業して、仮設鉄板の撤去後の段取りを考えて行こう

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年4月3日
四月に入り、一気に春めいてきた。
近くの犀桜小学校の正面玄関前に、開校記念に植えられた3本の桜が開花した。
校名が犀川と堤防沿いの桜並木より、犀桜小学校と名付けられた。
学校の正面玄関前に、開校記念に植えられた3本の桜が開花した。
記念樹にソメイヨシノを植える計画であったが、病気に強いジンダイアケボノに代えていただいた。
少し心配だったが、脇にあるソメイヨシノに少し先だって開花してくれた。
まだ幼木で花芽が少ないが、ピンクの濃いきれいな花になるので、見守っていきたい。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年3月22日
3月初めに、白内障の手術を受けるために、1週間入院した。
結果は、あまり変わらないが、視力が0.2ずつずつ上がり、眩しさが無くなった。免許更新が通ると思う。
悪化する前の手術なので、大きくは変わらないのである。
さて、私園の手当てをするつもりだったが、どうも血糖値の管理が悪くて昏睡状態となり、夕刻また、救急車に乗ることになってしまった。
医療センターの救命手当てにより、2時間ほどの昏睡から無事生還した.
今後は血糖値管理に注意していきたい。しばらくは家で待機している。
今朝からは春本番がやってきて、暖かくなり、我が庭の手入れでもしよう。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年2月24日
ちょっと寒かったけど、私園の枝葉の片付けと、果樹の剪定を続けてきた。
梅が開花し始めて、鶯宿梅と八重しだれ梅が開花宣言した。 
白加賀はあとしばらくで、豊後梅はまだつぼみが固い。
十月桜はまた、満開になり、そして道沿いにある河津桜が遂に一輪開花した。
まだ、下草は芽を出していないが、植え付けた彼岸花の緑の葉は日差しを浴びて光合成している。
そして、水仙の花畑は満開となっている。川べりにあった黄水仙は流されて、寂しい。
弥生に入れば、もっともっと賑わしくなってくれるはず。 
3月には、1週間入院するので来られないが、春が楽しみである。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年2月20日
暖かい 日々が過ぎていき、春がすでにやってきた気がします。 
まだ冬に済ませておくべき剪定が出来ていないが、出来る範囲でやりたい。
梅の木の剪定途中で、三脚をすらしている時に躓いて転んでしまい、手の皮がべろりと剥けた。
急いで後始末して帰宅し、家人に怒られながら、手当てしてもらった。
昨日は来月に予定している白内障の手術前精密検査を受けた。
少し怖いけど、聞くと知人の大半が受けているようなので、安心した。
4月には、きれいに花見が出来たらと思うし、6月に入れば、ホタルの光が良く見られたらうれしいね。
震災で多くの方が苦しんでいるのに、何も出来ない日々。
自分のやれる範囲のことをして、逝きたい。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年2月10日
はや、如月に入り、これからが冬本番な時期なのに、暖かい日々
被災された方々には、救いの暖かさ。
2日間ほど、私園の木々の手入れに取り組んだ。姉夫婦たちと遠来の友人が手伝いに来てくれた。
雪により枝折れした木々の焼却と、育ち過ぎた桜の木を切り詰めて小さくすることにした。
しかし、災害復旧工事と重なってきたので、農道沿いの桜の大木は、工事完成後に今年の花見してから伐採切り取りをお願いした。
数年間は、花見は寂しいが、新しい若枝や他の木々が伸びてきてくれるはず。
今、河津桜が花芽を膨らませている。 今月中には咲きそうで、楽しみです。
数本に増えた梅の木も、今年はきれいに咲いてくれそう。 しだれ梅も形が出来てきた。
春早く来い。 春待ち草も、芽を出し、花も間近です。
しかし、2時には疲れを感じ、みんなと判れて家路についた。
途中のコンビニでめまいがして、慌てて、血糖値を計測した。
やはり、低血糖になっていて、ブドウ糖のゼリーを飲み込み、30分程休んで家に帰った。
数日は、お出かけ禁止になった。 

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年1月20日
20日が過ぎ、やはり死者は200人を超えて、まだ不明の方がおられる。早く見つかることを祈る。
お手伝いは出来な身で、避難者が安全な生活ができるようお願いします。
母の13回忌が来るので、運転が可能であれば、生家でお参りをしてきたい。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年1月8日

震災から1週間がたち、被災状況が明らかになってきました。
とてもつらい気もちです。
雪や雨が降り、避難生活も大変な状態と知り、まずは避難者が早く安全な施設に移れるよう願っています。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年1月3日
元旦の夕刻に、令和6年能登半島震災が発生した。今も余震が続いている。
家族で、玄関で、いつでも外に避難できるようにして待機していた。
幸い、我が家には支障はなかった。
しかし、報道によれば。73名に登る死者と多くの不明者、多数の怪我人、家屋の倒壊、そして輪島の大火災、が発生した。
能登一帯は、昭和55年から仕事で各地でお世話になった場所であり、地理も詳しいので、とても悲しい。
現役であれば、もう現場の調査に走り回ってるハズですが、もう72歳の老人で、不治の病人となってしまった私には見守ることしかできない。

行方不明者の捜索と、交通路の復旧が進み、被災者に救援物資が届けられるよう祈っています。
年明けに病院通いがあり、2日に見た今年の初日に、被災者の無事と我が身が元気な体に戻れるよう祈った。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年1月3日
元旦の夕刻に、令和6年能登半島震災が発生した。今も余震が続いている。
家族で、玄関で、いつでも外に避難できるようにして待機していた。
幸い、我が家には支障はなかった。
しかし、報道によれば。73名に登る死者と多くの不明者、多数の怪我人、家屋の倒壊、そして輪島の大火災、が発生した。
能登一帯は、昭和55年から仕事で各地でお世話になった場所であり、地理も詳しいので、とても悲しい。
現役であれば、もう現場の調査に走り回ってるハズですが、もう72歳の老人で、不治の病人となってしまった私には見守ることしかできない。

行方不明者の捜索と、交通路の復旧が進み、被災者に救援物資が届けられるよう祈っています。
年明けに病院通いがあり、2日に見た今年の初日に、被災者の無事と我が身が元気な体に戻れるよう祈った。

皇紀2684年 令和6年 西暦2024年 1月1日

心配していた新年は、とても穏やかに明けてくれて、うれしい気持ちです。
しかし、ウクライナやガザのこと考えると、とても悲しいむなしい気持ちにもなる。
さあ、初散歩して、気もちを持ち直そう。
昨年は、様々なことがあり、とてもつらい一年でした。 
我が身も不治の病となり、何時までこちらに居られるかは分かりませんが、
一日一日 を大事に過ごしたいと願っています。
いろんなことで、思うように行かない日々となりますが、
出来る限りのことしながら、旅立ちの準備して過ごしたいと願っています。
今年も拙いページですが、よろしくお付き合いください。