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Mr. MYSTERYLOVE |
本棚に並べたミステリーの背表紙を見て気がついた二、三の事柄、 |
TWO OR THREE THINGS THAT I FOUND FROM THE BACK OF THE MYSTERIES IN MY BOOKSHELF OR : HOW I LEARNED TO LOVE THE BACK OF THE MYSTERY BOOKS. BY |
高田 巖 TAKATA IWAO |
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第2回 ロバート・B・パーカー スペンサーシリーズ 白ヌキと墨ノセの謎 |
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パーカーのスペンサーシリーズとの最初の出会いは、やはりというか古書店であった。以前の仕事場の近くにその店ができたばかりの頃、好奇心につられて入ってみた。こうやって書いているといかにも暇そうであるが、実際忙しくないし、それは現在でも変わらない。それはさておき、当初はフランシスの競馬シリーズなどを目当てにしていたのだが、あるとき色のきれいな背表紙の塊が目についたので、思わず手に取るとそれがパーカーのスペンサーシリーズ(ハヤカワ・ノヴェルズ版)だった。たぶん第4作『約束の地』から第10作『拡がる環』まであたりだったと思うが、実際に買うきっかけになったのは、そのデザインばかりではなく、フランシスの競馬シリーズですっかり好きになってしまった菊池光(ちなみに、きくちみつと読む、フム)の翻訳だったことだ。私が読むのはほとんど海外のミステリーなので、翻訳者はかなり気になる。同じミステリーでも、翻訳者が違えば雰囲気がガラっと変わってしまうので、シリーズ物の場合はできるだけ同一の翻訳者であって欲しいし、内容が面白ければなおのこと気になる訳である。菊池光(どうしても、きくちひかるの方が似合っていると思う)は私のお気に入りの翻訳者なのである。それでも一度に一冊づつ読みながら買っていった。スペンサーシリーズはすごく好きというわけではないが、それなりに面白かったし集めやすそうだったというのも理由になる。ところが、一見したところすっきりとしているように見えたこのシリーズにも、やはり落とし穴があった。 |
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先ずは第1作の『ゴッドウルフの行方』だった。なぜかまたしてもハヤカワポケットミステリー版だったが、これはシリーズということを知らずに買ったもので、後でシリーズの第1作ということに気がついたのだった。気になったのはシリーズの中で、これだけが翻訳者が違っていたことだった。翻訳者には少し申し訳ないが、シリーズの雰囲気が変わってしまうのを恐れて読む気がしなかった。続く第2、第3作の『誘拐』『失投』にもまた厄介なことがあった。翻訳者どころか出版社までもが違っていたのだった。これは祟りか、宿命か、大げさではなくこのシリーズも、フランシスの競馬シリーズに続いて、またしても菊池、辰巳のコンビなのである。何もこの二人が悪いわけではなく、途中からでも手掛けたシリーズに人気が出て、出版社の方針が変わったということなのだろう。さてその第2、第3作を手掛けているのは、立風書房(りっぷうしょぼうと読むそうだが、私としては第一印象のたちかぜしょぼうをとりたいところだ、フーム)であり、現在すでに存在しないらしい。ということはすでに絶版になっていて、古書店でしか手に入らないわけである。それでも探してみると、第2作『誘拐』は比較的簡単に手に入ったが、第3作『失投』はなかなか手に入らず半ばあきらめかけていた。たまたま最近、東京に所用ができて私の胸は高鳴った。 |
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こんな手間をかけて揃った、第2、第3作だったが、第1作にも意外なことがあった。前に書いたように、シリーズ第1作『ゴッドウルフの行方』はポケットミステリー版だったはずなのに、ある日ノヴェルズ版を見つけたのである。もちろん菊池、辰巳のコンビであるが、これは珍しいことではないだろうか。ポケットミステリー版から文庫版になることはあっても、ノヴェルズ版になるのはいまのところ見たことが無い、が私としては大歓迎であるし、ようやく第1作を菊池版で読むことができた。第2、第3作の方もあれほど苦労したのに、実際に読んだのは菊池、辰巳のコンビのハヤカワ文庫版である。ついでにこれらもノヴェルズ版で、再刊してくれればなどとはかない期待をしているが、版権というのは一体どうなっているのだろうか。とにかく珍しく最新の2冊以外の全巻が揃った満足感から、新たな欲望を抱きつつ、またその最新の2冊が早く古書店に降りてくることを望みつつ毎日を過ごしていた。言い忘れたが、スペンサーシリーズは新刊では買わないという、他人には分かりにくく本人にもそれほど強い拘束力のない、ルールらしきものを持っているので、第27作『ハガーマガーを守れ』、第28作『ポットショットの銃弾』はまだ手に入れていない。ただしここまで来たらのんびりと待てばよいなどという、落ち着いた日々は長続きしないものである。一瞬目を疑った。とある古書店で目にしたハードカバーの背文字に『ユダの山羊』というタイトルを見たような気がしたからだった。最近とみに遠視化現象(別人に言わせれば老眼化)が進み、元からの近視とが重なりややこしい視認距離になっているのである。手に取りまじかで確かめてみた。それは何と、スペンサーシリーズ第5作『ユダの山羊』の第1版であり、これまでのスペンサーシリーズと、カバーデザインが明らかに違うのである。これが第1版であるからには、こちらがオリジナルなのは間違いがない。こうしていつ果てるともしれない、新しい問題が持ち上がったのだった。 |
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さてタイトルの「白ヌキと墨ノセの謎」は一体どうなったかといえば、それはこれから説明する。このまたもや不完全なシリーズを、嘆息交じりに眺めていたときにはたと気がついた。「競馬シリーズ」と違って「スペンサーシリーズ」はタイトルの長さは、バラバラである。それでなかなか気がつかなかったのだが、2冊ほどがどうも他とは違うのである。前にも書いたがこのシリーズのデザインの特徴は、背に白地にカラーの縦帯があり、その中に白抜きでタイトルと著者名、翻訳者名が入っている。だが、第6作『レイチェル・ウォレスを探せ』と第22作『虚空』だけがなぜか、著者名、翻訳者名がいわゆる墨ノセなのである。カラーの縦帯の色合いによっては、それも理解できないことはないが、どう見てもあえて墨ノセにしなければならない色彩ではない。他にも似たような色相、彩度、明度があって、いずれも白抜きである。24冊ある中でなぜこの2冊だけが墨ノセなのか、どうも理由が見いだせない。これは一体どうしたことか、考えてみた。第一に単なるデザインであって特に思い込みがないということ、第二にデザイナーの指示ミス、または製版、印刷、担当者のミスで発行してしまったということなどが思いついたが、どうもすっきりしない。私にとっては謎である。さてさてひょっとして表紙のデザインと関わりがあるのかと、まとめて一同に表紙のデザインを見ているうちに、また別の謎が浮かび上がってきたのだった。ウームこの世ばかりかこのシリーズも謎だらけではないか。 |
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また第25作『突然の災禍』からは突然レイアウトが変わってしまっている。タイトルが縦書きになり著者名も大きくなっているが、シリーズ全体の印象に違和感がないように工夫はしてある。第26作『沈黙』ではタイトルは横書きに戻ったが、レイアウトはまた変わってしまった。どうもこの2冊から受ける印象は、帯を意識したデザインになっているということである。一体どうしたことだろうか。ここは依頼人と意見を異にするが、私個人としては帯は嫌いである、大嫌いである。私は新刊であろうが、古書であろうが帯はすべて外してしまう。物として本を考えた場合、こんなに邪魔なものはないと思っている。一時腰巻き大賞なるものがあり、デザインに関してではなく、その推薦文、広告文の内容などを競っていた時期があったように記憶しているが、私から言わせれば腰巻きに対して失礼ではないかと思うのだ。腰巻きは下履きであってなおかつ大事な機能があるのに対し、本の帯などはカバーのさらに外側に巻き付けられ邪魔なだけである。ましてや着物の帯は、はるかに重大な機能と装飾性を持っているのに、まったく役に立たないものにその名を冠するのは、とんでもない心得違いであろう。重要な情報は巻末にきっちりと載せればよいではないか。また推薦文や広告文もどうしても載せたければカバーの袖に載せればよいわけで、ただでさえ過剰なカバーに、さらにはずれやすくて破れやすい紙切れを巻き付けるなどというのは、愚の骨頂ではないか。その上嫌なのは古書店に出回ったときに、帯の下だけが日焼け具合が違っていて、妙に鮮やかでその鮮やかさが残っている分、かえってみすぼらしく見えてしまう事だ。一歩譲って出版社の事情で帯を付けるのは勝手だが、原則的に一時的な存在である帯にカバーデザインを合わせ、それを外したときに何となく間抜けに見えるのは非常に困る。それこそ本末転倒である。その点で第26作『沈黙』はうまく処理されていると思うが。その後の第27作、第28作はどうなっているだろうか、少し気掛かりである。 |
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さてロバート・B・パーカーには、新しいシリーズがさらに2本始まったようである。1本は女性探偵サニー・ランドル・シリーズで、その第1作『家族の名誉』は文庫オリジナルであり、翻訳もカバーデザインも替わっている。まだ未読なので内容についても何とも言えない。もう1本は警察署長ジェッシイ・ストーンを主人公とするシリーズであり、こちらの方はハヤカワ・ノヴェルズである。すでに2冊を数えるが、第1作『暗夜を渉る』第2作『忍び寄る牙』とも翻訳は、菊池光でありそれはうれしいが、第1作のカバーデザインはハヤカワ・デザインとなっている。これはおそらく社内によるデザインだということなんだろうが、あまりうまくいっているとは思えない。案の定というべきか第2作からは、おなじみの辰巳四郎になっている。いきなりであるが、こうなった原因は何だろうかと推理しだすとまた長くなってしまうので、ここでやめることにする。(了) |
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