落雁のいろいろ

        


落雁の材料は砂糖+和三盆糖+落雁粉+蜜
       →材料を揉み混ぜて→打つ→起こすで完成です。
落雁の名の由来はいろいろあり
@中国が明の時代の頃「軟落甘」と云われるお菓子が有りその言葉を詰めて「らくがん」と
 云われた説と
A白い落雁生地に黒胡麻を散らした様が水墨画の落雁の絵に似ていたので落雁と
 呼ばれた説が有ります。
当店では、加賀に伝わる昔ながらの配合で地元の落雁粉を使用しています。

落雁粉とは糯(もち)米粉を蒸してから日干します。その丸粒を石臼で引き細かくします。
その細かくなった微細な粉末を色を付けずに炒ったのが落雁粉です。
道明寺は大阪の真言宗のお寺で饌飯のさがりを信者に分け与えたのが評判になり、乾燥して
蓄えたのが始まりで、お菓子の原料として、珍しくお寺の名前が付きました。
最初の落雁はうるち米を熬(い)り、砂糖を混ぜ、黒胡麻を散らした、お菓子だった様です。
昔、糒(ほしい)は長期の保存が可能で、水やお湯で戻せば、携帯食となる優れたものでした。
糒(ほしい)を製造する事は、兵糧米を製造する事で、大変重要な仕事でした。ここ加賀藩は
天候に恵まれず、表日本に比べ設備が倍必要でした。そこで加賀藩では糒を作っていると
軍備をしているのではと、幕府に疑いを持たれることになり、落雁を育てる事で批判をかわす
狙いもあった様に思われます。
北陸地方は一向宗門徒で「百性のも持ちたる国」が、誕生して約百年にわたり続いた土地柄なので
今でも信仰心が厚く仏前にお供えする落雁を「御華足(おけそく)」と呼び、今でも各家庭に
落雁が溶け込んでいます。 御華足とは華飾りの彫刻の脚のある机のことで、この上にお供え物を
置きますのでお供え物を「おけそこ」または「おけそこさん」と呼びます。
江戸時代越中井波は加賀藩に属し、三代藩主利常公が藩主になる以前、住まいしていた所です。
井波町の瑞泉寺の立派な彫刻の技術が今も落雁の型の中に生き続けています。

    牡丹
   菊
蓮の花
葩(はな)
おちょぼ
22×14cm
20×11cm
21×14・14×10cm
3×5cm
2×2cm
 日の丸 「お祝い」
日の丸「祝」
旭日
10.5×7cm
15×11cm
11×8cm
9×8.5cm
15×7cm
日蓮宗
地蔵尊祭
梅鉢御紋
浄光寺
雛の落雁
4.5×4.5・4×4cm
3.5×7cm
8×8cm
7×7cm
5×5cm
東本願寺
お西さん
捻り梅
花模様
9×9cm
9×9cm
7.5×7.5cm
3.5×3.5cm
3.5×3.5cm
法要
浅野稲荷神社
目出鯛(餡入り)
雅楽太鼓
雅楽琴
18×13cm
4×7cm
5.5×4cm
21×14cm
22×15cm

●参考文献
  金沢町人の世界   田中喜男著    国書刊行会      1988
  茶菓子の話      鈴木宗康著    淡交社        1968
  落雁           徳力彦之助    三彩社        1975  
 *このページに興味のある方は上記の本を読んでみて下さい。
    落雁に関する事項、その他、間違っている事項、お気付き有りましたらご指摘下さい。