『時機純熟の真教』
細川 公凖
親鸞聖人は、浄土真宗を敬信して、
誠にこれ如来興世の正説、奇特最勝の妙典、一乗究竟の極説、速疾円融の金言、十方称讃の誠言、時機純熟の真教なり。
(『教行信証』「教巻」聖典一五四頁)
と讃嘆さるる。浄土真宗の尊いのは時機純熟なるが故にである。されば、浄土教を開闡する諸々の経・論・釈は、我々に、時代を反省せしめ、社会を反省せしめ、自己を反省せしめ、『観無量寿経』の下々品はいはずとするも、「恩内はなはだたちがたく、生死はなはだつきがた」(『高僧和讃』聖典四九〇頁)き龍樹菩薩は、青年時代の愛欲放縦の自己に驚いて、?弱怯劣の機は、「念仏三昧行じてぞ、罪障を滅し度脱」(『高僧和讃』聖典四九〇頁)する外なしといつて、浄土易行の法を開顕したまふたのである。
顧ふに、仏教といふものが、七仏通戒の聖頌に「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教―諸の悪を作さず、衆の善を奉行し、自心を浄む、是れ諸仏の教なり」(『法句経』第一八三偈)―とあるが如く、心・口・意の三業を清浄にし、戒・定・慧の三学を修して、無窮の仏道を精進するところのものであるから、仏教の建前からすれば、時に古今の別なく、道は常に不変のものとされなけねばならない。かかるまつしぐらな仏道精進に、聖道門仏教の面目がある。
しかるに、かかる仏教全般に通ずる聖道的自覚に対して、浄土門の教はなぜ独り、時に古今の別をつけ、澆季末世の今の時と社会とに、聖道難行の行修の不可能を嘆ずるのであらうか。禅宗の道元禅師の如きは、聖道門が自己の得証すべき道でない事を悟られた親鸞聖人と殆んど時を同じうして鎌倉時代に生れ乍ら、必ずしも聖人と同じ道をあゆまれなかつた。道元禅師のあゆまれた道は、持戒堅固な諸悪莫作、衆善奉行の聖道門である。されば禅師は、時の古今の区別―即ち正法像法末法の三時を批判して次の如く云はるる。
世間の人多分云く、学道のこころざしあれども世は末世なり、人は下劣なり、如法の修行にはたゆべからず、只随分やすきにつきて結縁を思ひ、他生に開悟を期すべしと。今云ふ、此の言は全く非なり。仏教に正像末を立ること暫く一途の方便なり。・・・・・・人々皆仏法の器なり。かならず非器なりと思ふことなかれ。依行せば必ず証りを得べきなり。云々。
(『正法眼蔵隋聞記』圏点筆者)
道元禅師は、世(時)は末世なり、人(機)は下劣なり、故に末代の今は行証のかなはぬ時なりとする浄土教を非とするものである。禅師は、釈尊御在世の時の比丘と同様に、自己が「仏法の器」なることを信じて、末代の今にあり乍ら、戒・定・慧三学の行修を怠らぬものである。私共は、ここに、「時」の末世と、「機」の下根を深信して浄土易行の教法を「時機純熟の真教」と感佩された親鸞聖人の立場と、道元禅師のそれとに根本的な相違をみとめずにはをられぬ。
しかしながら、この根本的な相違の故に、聖人の場合をもつて、仏教的自覚に背くものとすべきものだろうか。はたまた、正・像・末三時の時代観にもとづく浄土教は、道元禅師のいはれる如く一概に非とさるべきものであろうか。
しかるに、支那の道綽禅師は、凡そ仏道を行ずる者には、その機(人)と時(時代)と教とが一致相応しなければ、たとひ教はあつても、修し難きこと、あたかも、湿った木を攅つて火を求めるが如きものであるとして、時機相応の教法といふことを唱説さるるのである。禅師が、
今の時の衆生を計るに、即ち仏、世を去りたまいて後の第四の五百年に当れり。正しく是れ懺悔し福を修し、仏の名号を称すべき時の者なり。
(『安楽集』聖典三五九頁)
といはれて、末代今の時の教法として念仏往生を勤励される理由はここにあるのである。禅師は、釈尊御在世当時の厳格な律法主義が、釈尊御入滅後千五百年の今日には実行できないものである。そこには、時代の推移といふ動かすことのできぬ事実が存する。故に、徒らに、旧時の戒律そのままの形式に拘泥せずして、たとひ形式は異るにしても、大聖出世の真意に参徹すればよいと確信し給ふたのである。
ここに道綽禅師が「第四の五百年」といはるるのは、『大集月蔵経』の五個の五百年説によらるるのである。斯経に依れば、仏陀入滅後の五百年は、もろもろの比丘、智慧を研いて仏教が維持さるる解脱堅固の時期であり、第二の五百年は、禅定堅固であり、第三の五百年は、多聞堅固であり、第四の五百年は造寺堅固であり、第五の五百年は、白法隠没して、諍訟のみ、ただ微しく善法が残るといつた闘諍堅固の時期なりといふのである。(『大集経』取意、伝教大師『末法燈明記』参考)そしてこの第一の五百年を正法の時代、第二第三の一千年を像法の時代、第四以下の一万年を末法の時代として、正・像・末の三時を区分するのである。
「我が末法の時の中に億億の衆生、行を起こし、道を修せんに、未だ一人も得る者あらじ」といふ『大集経』(聖典三三八頁)の予言の如く、末法の今は、戎・定・慧三学の行を修して証をうるもののいない時代である。従つて、末代の凡夫に与えられた白法は、願生浄土の一法のみである。されば禅師は、
当今は末法なり。この五濁悪世には、ただ浄土の一門ありて通入すべき路なり
(『安楽集』聖典三三八頁)
親鸞聖人は、かかる禅師の時代観に深く共鳴し給ひ、末法動乱の自己と社会との上に、「時機相応」としての浄土真宗を敬信し給ふのである。
末法五濁の衆生は
聖道の修行せしむとも
ひとりも証をえじとこそ
末法五濁の有情の
行証かなわぬときなれば
釈迦の遺法ことごとく
龍宮にいりたまいにき
(『正像末和讃』聖典五〇〇頁)
これらは聖人が、禅師への深き同心共鳴のお言葉でなくて何であらう。
教・行・証三法円満具足せるは正法の時代であつた。教・行ありて証なきは像法の時代であつた。しかるに末法の今は、行・証共にかなはぬ「無有出離之縁」(善導大師)の五濁悪世である。そもそも正法の正は「証」である。如説修行して皆証(さとり)を得たのである。象法の像は「似」である。像法一千年は、形式は正法に似たれども、真実の修行でないから、教・行はあつても、証はないのである。末法の末は「微」である。仏道の修行、その人殆んどなきが末法である。
我が国に於ては、法然・親鸞の浄土教家に先だちて、伝教大師も亦、持戒、破戒、無戒を以て、正・像・末の三時を批判された。
もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒法なし、何の戒を破せんに由ってか破戒あらんや。破戒なおなし、いかにいわんや持戒をや。
(『末法燈明記』聖典三六二圏点筆者)
末法のいまはもはや破るべき戒さへもない。戒法の制定もあらば、破戒ともいへようが、末法の今は破戒といふことすらない。無戒の時代なのである。
仏陀はかつて阿難に告げて、将来我が法滅尽せんとする時、我が法中に於て出家した比丘比丘尼達が戒行を修めず、在家の人達と同様に、我児の臂を牽いて、酒楼より酒楼へ遊びまわり、淫事をなすであろう。云々。(『大悲経』取意)と申されたが、その予言がそのまま適中したのである。されば、法然上人は常に好んで、破戒尚なし、いかにいはんや持戒をやといつて自らを慙愧されたといふ。
「末法到来」といふ人間の悲しき運命は、経文に指摘するが如く、我が国では平安の末期に到来した。保元平治の打続く戦禍動乱、それに由つて起る骨肉の呑噬、それに思はざる天災飢饉等。平安の末期より鎌倉時代にかけて、世は「五濁の世、無仏の時」なるかにみえた。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし。・・・・あしたに死しゆうべに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いつかたより来りていづかたへ去る。
(『方丈記』)
によつて代表さるる鴨長明や僧西行の文学の中にも、私共は「末法到来」の悲痛を見せしめられる。私共の祖先はかかる有為転変、生者必衰の現実を通じて赤裸々の人生に直面したのである。しかもこの時代環境の中にありて、しみじみと末法の姿相に慙愧し、この自己と社会を批判し給ふたのが親鸞聖人であり、師法然上人であつた。
しかるに、世にはこの浄土教の末法思想を以て消極的な厭世思想とする者のあることは遺憾である。又、倫理的な堕落、道徳上の無能力へ通ずる思想とすることもあたらぬことだと私は思ふ。現実をそのまま無批判に肯定する安価な楽天主義の人々にとつては、末法思想は理解しがたいかもしれぬ。故に人は消極的厭世思想とも、倫理的堕落ともいふかもしれぬ。しかし浄土教の末法観は、本来的に一個の価値批判であると私は思ふ。それによつて私共は、深酷にこの現実、この歴史を批判する。又、この自己とこの社会を内省する。
五濁悪時悪世界、五濁悪世の有情、憂悲苦悩の群萠、凡愚低下の罪人、愚縛の凡愚屠沽の下類、乃至は、極重悪人等、親鸞聖人の信仰生活の基調には聖人の時代環境を一身に荷負する「悪人の自覚」が存している。然し乍ら、かかる人間の価値否定は決して人間の倫理的無能力堕落を意味するものではない。聖人に於ては、かかる末法五濁といふ現実の否定こそ、願生浄土へ通ずる唯一の道であつたのである。否定は否定のための否定ではなくして、大いなる肯定のための否定だとは、浄土教に於て尤も妥当する論理であるまいか。
聖人が『歎異抄』の御物語の中で「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と仰せられて悪人正機の本願を明かにし給ふたのも、悪人の自覚こそ、往生成仏への通路であることを御教示になつたものである。世には、この悪人正機を以て、悪事の奨励や悪事の黙視であるごとく考えている人もいる。故に世人は又この悪人正機を以て許すべからざる道徳的堕落を説く宗教であるかの如く誤解する。しかし、「悪人の自覚」は、私共が仏になるといふことに於て無力だといふことであつて、それがそのまま人間生活全体の腐敗堕落を肯定するものではない。「曾無一善」の自己が無条件に仏に救済されるといつても、その信仰は、現実の生活を悪にささげ切るといふことではない。むしろ反対に、「悪人でさへ救はれるとは」といふ報恩感謝の念は、必ずや現実の生活を元気付け、浄化するにちがひない。故に末法思想は単なる消極的否定の道とは凡そ縁遠いものであるといふことを考へねばならぬ。
既に正・像・末の三時といふ時代の見方は、一個の立派な価値批判であつて、この批判を経てくるところに、男子も女人も、凡夫も聖人も、善人も悪人も、ひとしく後生菩提へ廻入せしめられる道が拓けるものとすれば、正・像・末の三つの時代区分といふことは、正法より像法へ、像法より末法へと、人間がだんだん道徳的に腐敗堕落してゆく順序を客観的に説明する一つの歴史上のものの見方とも、大いに相違するものであることに気付かしめられる。
ひるがへつて思ふに、蓮如上人が『御文』の中で仰せられる如く、
それ諸宗のこころまちまちにして、いずれも釈迦一代の説教なれば、まことにこれ殊勝の法なり。もっとも如説にこれを修行せんひとは、成仏得道すべきことさらにうたがひ
(『御文』第三帖二通 聖典七九六頁)
なきものである。故に道元禅師は先にも言及した如く、自己が「仏法の器」なることを確信して、難行聖道の修行に邁往さるるものとなつた。それ故に、出家隠遁も行はれ、持戒堅固でもあつたであろうが、それはどこどこまでも、そんな苦行に耐へ得る少数の聖者に限られたことではなかろうか。
故にもし「末代このごろの衆生は機根最劣にして如説に修行せん人まれなる時節なり」と気のついた時は、それは個人への反省から、一歩眼界はひろげられて、社会へ、時代へと反省された時であらねばならぬ。自ら苦行難行に耐へうるとする聖道的自覚も結構であろう。しかし、かかる苦行難行に耐へ得ない全大衆の衆生性が問題になる時、「衆生と共に」救済される路が発見されねばならぬことになる。私が上来、浄土門の教は、自己の内に時代環境の苦悩をみ、時代環境の反省の上に、「罪業深重」の自己を感得せしめるといふことを申してきたのは正しくこのことであつた。
苦悩よりの解放解脱は、独り個人にあるのではない。五濁悪世の末法といふ自覚よりする時、それはやがて衆生全体のことでなけねばならぬ。大乗仏教の根本精神が菩薩の普賢の行にあるといはれる如く、菩薩は、自利利他円満する。しかも自利利他の二者は菩薩の自覚に於て相即する。自己の救はるることは、即ち、衆生の救はるることであらねばならぬ。
この点に於て、末法五濁なる時代観は、「荷負群生」利他教化の温床であつて、人間の悪を時代に転嫁するといふやうな浅薄卑劣な思想ではない。時代が今や末法五濁だと考へざるを得ないところに、却つて人間の崇高な道徳観の横溢を見るのである。よくよく考へてみれば、人間の道徳観は、今が昔に比べて特に劣つているとは思へぬ。釈尊在世の当時も亦見方によつては末法五濁であろう。しかし、末法五濁の世だといふ感知なくして、徒らに律法主義の形式に拘泥する間は、私共は大聖出世の真意に参徹することができず、従つて又浄土門は美しく開闡されない。
法然上人が、
現世の過ぐべき様は、念仏の申されんやうに過ぐべし。・・・聖で申されずば妻を儲けて申すべし。妻を儲けて申されずば、聖で申すべし。云々
(『和語灯録』)
と仰せらるる様に、宗教の根本義は?肉や蓄妻の有無にあるのではない。すべからく外面の形式をはなれて、ただ大聖の真意にふれるならばそれでよいのである。「同一念仏無別道故。」在家出家、僧俗の間に念仏の価値優劣はないと信じなけねばならぬ。
かやうに、末法五濁といふ時代環境を通じて私共は始めて浄土教の堂奥に参入することができる。永久に成仏すべき方途のない自己であり、それがそのまま時代そのものの宿命であるといふことに気付く時、誰か、大聖出世の本懐、『大無量寿経』の宗教に心を動かさずにいられよう。
『大無量寿経』には、「特留此経、止住百歳」末世相応の法として此経即ち『大無量寿経』をこの世に止めること、百歳乃至無量歳ならしめんとある。親鸞聖人は此経の教法を敬信して「時機純熟の真教」と感佩される。
しかし、真実に悪人の自覚あるところ、『大無量寿経』の宗教はいつも真実である。浄土真宗は末法のいまのみの宗教ではない。浄土真宗は、時の古今を超越し、世の東西に普遍して妥当すべきそれである。故に聖人は、聖道、浄土の二門を批判されて、
信にしりぬ。聖道の諸教は、在世正法のためにして、まったく像末・法滅の時機にあらず、すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや。
(『教行信証』「化身土巻」聖典三五七頁)
と申され、又
正像末の三時には
弥陀の本願ひろまれり
像季末法のこの世には
諸善竜宮にいりたまう
(『正像末和讃』聖典五〇〇頁)
と詠はるる。
悲しき同朋の運命を一身に荷負された聖人の罪悪意識とは外ならぬ、この末法観にはげまされた結果である。しかも、この末法観を通じて仰がれるものは、いふまでもない、聖道門自力の教でなくて、浄土門他力の真宗である。そして、この末法五濁の感知あるところ、如来大悲の真意は、時の古今を超越して私のものとなる。これ、浄土真宗が「時機純熟の真教」であり乍ら、同時に、正・像・末三時を通じて、証道盛んなる時代超越の宗教である所以ではあるまいか。
(昭和十四年四月三日校了)『護法』昭和十四年六月号