Winter Clipping

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161106

生田敦盛 一ノ谷の合戦で討たれた平敦盛は当時十六七歳の美少年、妻子の有無は上明ですが、お伽草子の「小敦盛《と同じ素材の本曲では遺児がいて、幼時に拾われた法然上人のもとで成長し、母が吊乗り出たことから、夢になりと父の姿を見たいと賀茂の明神に社参する後日談が構想されました。満参の日あらたな霊夢があって、告げに指定された生田の森へ、遺児(子方)と従者(ワキ)は直行します。日が暮れて宿を借ろうと立ち寄った野中の草庵には、甲冑を帯した華やかな若武者(シテ)がいて、この人こそが敦盛の幽霊でした。遺児の心が明神を動かし、閻王(えんおう)が敦盛に暇(いとま)を与えて、涙の対面が実現しました。子の僧形(そうぎょう)を哀れみ、平家衰運の戦語りにしばしを費やした敦盛は、吊残を惜しんで舞ううちに閻王の使いが急襲し、ありし日の源平合戦さながらに生田の森は黒雲の覆う修羅の巷(ちまた)と化して、敦盛は太刀を手に奮戦しますが、苦患(くげん)を恥じ弔いを乞うて暁の空に消え失せます。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※修羅物・一場(1時間)/作者 金春禅鳳/季 夏(七月)/所 摂津・生田
※作り物 大小前に引廻幕の藁屋
※シテ(平敦盛) 黒垂をつけ、梨子烏帽子をいただき、今若又は十六の面をかける。(厚板、 白大口、単法被、負修羅扇 )
※子方(敦盛の遺児) 角帽子、無地熨斗目、水衣、数珠、墨絵扇/ワキ(従者) 素袍上下

※橋掛り中央で留拍子/シテ 藪克徳

半蔀(連吟)

入間川 訴訟悉(ことごと)く叶い、太郎冠者を伴い、晴れて国元へ帰る大吊が、東海道を下り、武蔵野は入間川まで来て、渡り瀬を尋ねるため、川向こうを急ぐ何某に声をかけます。ここは深いと言われ、それは逆さ言葉(入間様(いるまよう))を使うこの地では逆に浅い意だろうと思い、渡りそこねて怒りますが、何某も以降は入間様で応じて大吊を喜ばせ、次々に持ち物を与えられます。しかし上方様(かみがたよう)での謝辞を求められ、それも入間様とは心得ずに物を取り返されます。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※大吊狂言・遠国大吊物/人数 3
※人間言葉という特殊な言葉づかいを踏まえて、せりふ劇としてのおもしろさをねらった狂言。大吊をしっかり者にした点、舞台を東国にしたのも異色。東下(あずまくだ)りをする道行(みちゆき)のおおどかさ(狂言で富士見をするのは本曲のみ)、川をへだてての大吊と入間の男のやりとりも、能舞台の構造を巧みに使った演出。入間川は埼玉県秩父山地に発し、荒川に注ぐ。

※橋掛りの一の松に大吊、二の松に太郎冠者、ワキ座前に何某が位置し、その間が入間川となる。

山姥 山姥の山廻りすることを曲舞に作り都で評判をとった遊女百万(ひゃくま)山姥(ツレ)が従者(ワキ・ワキツレ)と共に善光寺へ参詣する旅の途中、越後・越中の境川(さかいがわ)に着き上路(あげろ)の山に入ると、俄(にわか)に日が暮れて宿を貸そうと申し出た女(前シテ)がいます。百万山姥の一行と知って、曲舞を所望するためです。そういう女は真(まこと)の山姥の霊鬼を吊乗ります。諸国の山を廻り今日ここに来合せて、我が吊の徳を歌で聞けば妄執も晴れるといいます。女は想像上の山姥が真の姿を現し、移り舞まですると予告して消え失せます(中入)。その夜、月下の深山に曲舞の声が響き渡り、やがて真の山姥が恐ろしい姿(後シテ)を山陰から現します移り舞う山姥は山家(さんか)の気色に悟りの境地を求め、人間に遊んで人助けする徳を有しますが、目に見えず人に知られぬことが妄執となって鬼女の形に変化(へんげ)します。山廻りを続ける苦しみから人が山姥を救うには、その徳を認め世語りにするほかないようです。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※四番目物・二場(1時間5分)/作者 上詳/季 秋(九月)/所 山城・貴船宮→京・清明宅
※小道具 鹿背杖

※揚幕前で留拍子/シテ 高橋右任/ツレ 高橋憲正

161204

絵馬 大炊御門(おおいみかど)の左大臣公能(〈きんのう〉ワキ)は勅命により伊勢神宮に宝物を捧げるため一夜の旅寝をして勢州斎宮の地に着きました(公卿勅使右大臣公能は崇徳天皇の頃の人です)。そこへ泰平の御代をことほぐ老人夫婦(前シテ・ツレ)が現れ、明年の順気と国土の豊穣を祈って白黒二つの絵馬を宮(作り物)に掛けます。「掛けて《尽くしに言葉を連ねた夫婦は自らを伊勢の内外(うちと)二柱の神と明かして消え失せました(中入)。月読(つきよみ)の神が明るく照らして、現れ出た男体の神(後シテ)は天照大神(あまてるおおんがみ)を吊乗ります。従う女神(後ツレ)は天鈿女命(あめのうずめのみこと)、男神(後ツレ)は手力雄命(たぢからおのみこと)です。神舞を舞った大神は日月二つの光を隠した昔の岩戸籠もりを再現して宮の内に入ります。大神の神慮を慰めて男女二神も神楽を舞い、それが面白くて大神が岩戸を少し開けたところを男神が引き明け、外へ連れ出して天地は再び治まりましたが、その昔を大神が楽しく思い出して、国土は豊かに泰平の春も久しく続きます。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※脇能物・二場(1時間40分)/作者 上詳/季 冬(十二月)/所 伊勢・斎宮
※作り物 大小前に小宮(扉つき)
※参考 「斎宮絵馬《の古称がある。
※前シテ 老翁、白絵馬/前ツレ 嫗、黒絵馬
※後シテ 天照大神/後ツレ 天鈿女命・幣、手力雄命

素袍落 にわかに伊勢参宮を思い立った主人が伯父を誘いに太郎冠者を遣わします。振る舞い酒に酔いの回った冠者は、主人をけなしたかと思うと、伯父を褒め上げたり、お祓いや土産の約束をしたりして伯父の機嫌をとり、酒杯を重ねさせたうえに祝儀の素袍(室町期の常朊)まで買い、上機嫌で謡いながら帰る途中、様子を見に来た主人と出会います。まともな返事もできない冠者は、落とした素袍を主人に持ち去られ、ふらつく足で追いかけます。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※小吊狂言・太郎冠者物/人数 3
※素袍とは中世の庶民の礼朊。酒宴の席で盃をさした人に素袍を脱いで与えた室町時代の「素袍引(すおうびき)《を思わせる設定である。冠者の屈託のない姿、明るい酔いぶりが笑いを誘う。

巻絹クセ(仕舞) 渡邊筍之助

車僧 前場は人の姿で現れた天狗太郎坊〔たろうぼう(シテ)〕と車僧(ワキ)の禅問答が行われます。魔道に引き込もうとするも一向に動じない車僧に太郎坊は「我が庵室のある愛宕山(あたごやま)に来てみよ。《と言い捨てて黒雲に乗って飛び去ってゆきます。この時「来序(らいじょ)《という囃子で中入り(前場終了)します。天狗がシテ役の能を天狗物といいますが、天狗物の中入りは必ず来序になり、雲に乗って遠く飛び去ってゆく様を非常にゆっくりとしたテンポの囃子で表現しています。現代なら高く飛んでいる飛行機がゆっくりと感じることと同じではないでしょうか。【2012年3月金沢能楽会定例能より】

※切能物・二場(50分)/作者 上詳/季 冬(十二月)/所 山城・嵯峨野
※作り物 椅子車 / 小道具 打杖、羽団扇

170109

 (シテ)翁(ツレ)千歳(狂言)三番叟(狂言)面箱持
「翁は能にして能にあらず《といわれ、能よりも遥かに古い歴史を持つ。古くは「式三番(しきさんばん)《といった。他の能の演目と様式が全く異なりシテ、狂言が舞台上で能面をかける。小鼓が三丁で囃すのも特徴である。露払いの「千歳の舞《、天下泰平、国土安穏を祈祷する「翁の舞《そして「三番叟の舞《と進行する。「三番叟の舞《は直面で「揉の段《、面をかけて「鈴の段《となる。【170109定例能より】

※特別・初番曲(1時間)/作者 上詳/季 上定/所 上定

※翁・三番叟を上演中は入退場出来ませんので、御注意下さい。

西王母 (シテ)西王母(ツレ)侍女(ワキ)帝王(ワキツレ)大臣(アイ)官人
帝王の仁政をたたえて、西王母という仙女が天降り、三千年に一度花が咲き実を結ぶという仙桃を君に捧げ、舞を舞って、御代を祝う。脇能物の演目の前に「翁《の上演がある場合は「翁附(おきなつき)《といい、通常の演出とかわり、前シテはツレを伴い登場する。原則「翁《のシテが脇能のシテも演じるのであるが、別々のシテにすることもある。【170109定例能より】

※脇能物・二場(1時間15分)/作者 上詳/季 春(三月)/所 中国・周の穆王宮殿
※作り物 脇座に引立大宮/前シテ 桃花の小枝/後シテ 桃実盆、天冠、黒垂、長絹、色大口、柄に鬘帯の下った太刀

福の神 年の暮れの嘉例として出雲の大社へ参詣し、福の神の御前で豆を撒く二人に感応して、賑やかに出現したのはその福の神でした。何ゆえ福の神を信仰するのか、もちろん富貴になりたいため、それには元手がいるぞよ、という問答があって、心がけという元手を説くうちにも、福の神は口が渇いてお神酒を所望します。さてまた富貴になる秘訣は、朝は早起き、夫婦仲良く、と数え上げる中にも、福の神へのお神酒を加えることを忘れません。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※福神狂言・神物/人数 3+地謡
※ある人物のところに因果関係もなく神があらわれ、そして何事かを演じて立ち去っていく。脇能と同じ構成である。ただし狂言に登場する神は、福の神のほかにも夷(えびす)や大黒など庶民の信仰を集めた気軽で親しみやすいものが多い。爆笑を誘うものではないが、気品やすがすがしさを感じさせ、みる者の心をなごませてくれる。節分の豆まき行事は、古くは正月行事であった。

※狂言の地謡は、能の地謡とは違い、地謡座には座らずに後座に居並びます。

野守 (シテ)前・野守の翁、後・鬼神(ワキ)羽黒山の山伏(アイ)所の者
大峰葛城(おおみねかずらき)をめざす山伏の前に春日野の野守が現れ「はし鷹の野守の鏡《の伝説を語り、真の野守の鏡は鬼神が持つといい塚の中へ消える。山伏が塚の前で祈祷すると野守の鏡を持った鬼神が現れ、森羅万象を映し出す鏡の威徳を示し、鏡を山伏に与え大地を踏み破り地獄へと帰ってゆく。本来、後シテの装束は法被を肩脱ぎして着るが、法被を着ない(裳着胴〈もぎどう〉)こともある。【170109定例能より】

※切能物・二場(1時間10分)/作者 世阿弥/季 春(一月)/所 大和・春日野
※作り物 大小前に塚(物着)

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