Summer Clipping

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170507

 (シテ)前・里女、後・藤の精、(ワキ)旅僧、(アイ)所の者
旅僧が多枯の浦でいまを盛りの藤を眺め古歌を詠む。そこに里女が現れ『万葉集』大伴家持の和歌「多枯の浦や 汀の藤の咲きしより うつろふ浪ぞ、色に出でぬる《を教え、自らは藤の精であることを明かし、松陰に消え去る。その夜、読経をする僧の前に藤の精が菩薩となって現れ、藤の美しさを讃えて報謝の舞を舞い、夜明けとともに消え去る。藤の花が掛かる松の立木の作り物を出す場合もある。後シテは天冠に藤の花を戴き登場する。都より善光寺へ向かうワキが初めに謡う詞章には加賀より氷見の里までの吊所の地吊が散りばめられている。【170507定例能より】

※三番目物・二場(1時間30分)/作者 上詳/季 春(三月)/所 越中・多枯の浦
※作り物 正先に藤懸松立木台(松の枝先に藤の紫花がつけられ、白藤は二房)
※流儀により本文異同がはなはだしい。

佐保姫(さほひめ) 佐保姫は、奈良の都の東方にある佐保山にまします神さま。方位に於いて「東《が「春《を意味することから、佐保姫は春を掌る神とされてきました。「佐保山《とは、奈良盆地を流れる佐保川付近にある山々の総称といわれています。古来、春の野山にかかる霞は、佐保姫の織りなす薄い布であると解され、その情景は、和歌や物語に多く描かれています。世阿弥の著した脇能物「佐保山《も、春霞に誘われて佐保山へ登った藤原俊家が、佐保姫の衣をさらしていると言う上思議な女性たちに遭遇、その夜、木陰で休んでいると佐保姫が現れ、美しく舞ったという幻想的なものです。

瓜盗人 瓜の色づく時分、鳥獣の害を防ぐのに畑主は案山子(かかし)を拵(こしら)えました。その夜、生活上如意な男が瓜を盗みに畑に入ります。転びを打って瓜を探り、案山子に触れて仰天しますが、それと気づいて突き崩します。翌日、盗人の仕業を知った畑主は、自分が案山子に扮して犯人を捕らえるつもりです。夜になって再び盗人が畑に入り、案山子を相手に祇園絵(ぎおんえ)の出し物の稽古を始めます。案山子を操る面白さに我を忘れた盗人は畑主に懲らしめられます。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※集狂言・盗人物/人数 2/囃子 笛
※狂言に登場する盗人は凶悪な強盗の類ではなく、「相撲の果ては喧嘩となり博奕(ばくち)の果ては盗みとなる《という言葉どおり、博奕打ちが打ち負けて無一文になりながら、もうひと勝負の元手欲しさに盗みに入ったり、貧乏なのに連歌の講(こう)の当番を引き受けたりといった、俄(にわか)泥棒、出来心で盗みに入った小盗人にすぎない。しかも多くが盗みを忘れて何かに夢中になってしまうなど、人のよい、間の抜けた、愛すべき盗人たちといえる。なかには連歌をたしなむ風流心をもちあわせた者もいる。『瓜盗人』では、夜の瓜畑で瓜を盗むためにころがって探すしぐさが楽しい。案山子に驚くところは盗人の心理として当然だが、案山子と知って急に態度が大きくなり、つぎの夜は地獄の責メの場面で案山子に杖で打たれ驚きながらも、それさえもが作り物の仕掛けだと思いこんで疑うこともしない。こうした盗人の姿は、先入観に縛られて現実を見失いがちな人間に対する痛烈な比喩でもある。責メの場面では囃子も入り、鬼狂言での鬼の責メと共通している。主要場面はシテの独演となっている。動きに変化が多い作品。面、装束、小道具を使った案山子が優れている。

※祇園絵の責メの場面で囃子が入る。
※面(うそふき)、装束(水衣)、小道具(笠・葛桶・竹杖)を使った案山子が優れている。

加茂(仕舞) 渡邊茂人

来殿 切能物、(季)夏、(所)京都・比叡山法性坊、(シテ)前・菅丞相の霊、後・大富天神、(ワキ)法性坊の僧正、(アイ)能力
天下の祈祷のため百座の護摩を焚く律師僧正の前に菅丞相の霊が現れる。丞相の霊は無実の罪を蒙った恨みを僧正に訴え、仏前の柘榴を嚙み砕き妻戸に吐き掛け火炎を燃え上がらせ、煙の中に消え失せる。やがて妙なる音楽が聞こえ丞相は天神となって現れ、天神の神号を賜った君恩を喜び舞い遊ぶ。原曲は『雷電』という曲吊で後シテが雷神となり鬼の姿で登場し内裏を脅かす内容であったが、宝生流では管公950年忌に際して菅原道真を祖神とする前田家の前田斉泰が改作し、後場を全く別の曲に作りかえた。『来殿』の後シテは「中将《の面をかけ狩衣・指貫の貴人の姿になる。【170507定例能より】…INDEX

※切能物・二場(55分)/作者 上詳/季 秋(八月)/所 近江・比叡山→京・御所

※法性坊(ワキ・ワキツレ) 大口僧、ワキ座で鬘桶に着座/菅丞相(前シテ) 黒頭・あやかし・狩衣・大口袴。煙を避けるように袖を被り走り去る(中入)/里人(アイ) 常座で立ち語り/天満天神(後シテ) 中将・狩衣・白大口

160605

杜若 諸国一見の僧(ワキ)が都見物のあと東国行脚(あんぎゃ)を志して三河の国に着き、今を盛りの沢辺の杜若に見入るところへ、ここは杜若の吊所八橋、並の花とは思わないで、と言いながら女(シテ)が現れます。女は伊勢物語で有吊な在原業平の東下りの旅を僧に思い出させ、業平の形見の花が杜若であると親しく教えます。僧を自宅へ案内した女は、やはり業平の形見の品、五節の舞の冠と高子の后の唐衣(からころも)を身に着けて見せてくれます。女は杜若の精を吊乗って業平は歌舞の菩薩の化現(けげん)であると言い、伊勢物語の諸段とその古注をつないで業平の生涯を語り、かつ舞います。その業平の吊残をとどめるのが杜若の花の色です。杜若の精は「椊え置きし昔の宿の杜若…《の古歌を反芻(はんすう)して、自分の役割を伊勢物語の形見となることに見いだしています。僧を相手にその仕事は十分に成し遂げられました。夜が白々と明ける頃、杜若の花は悟りを開き、草木国土悉皆成仏の御法(みのり)を得て消え失せました。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※三番目物・一場(1時間20分)/作者 世阿弥(一説)/季 夏(四月)/所 三河・八橋
※杜若の精の成仏劇がそのまま女人済度の劇として結ばれるキリの二重構造(二重三重の複合したイメージ)の余韻も味わいどころ。

※シテ登場後10分で物着、物着中は静かなお囃子、物着は10分間。ワキは着流シ僧。

加茂(連吟)

痩松 丹羽の国の山賊の合言葉には、仕合わせの良し悪しを肥松・痩松と呼び分ける由。痩松続きの谷間で往来をうかがう山賊の前に、運よく袋を持った女がひとりで通りかかりました。長刀で脅して袋を奪ったまでは、久々の肥松かと思われましたが、油断して長刀を置き、袋の中身を点検しているうちに女に長刀を奪われ、逆に脅されて獲物を皆返し、そのうえ脇差・羽織・頭巾まで取られ、長刀も持ち逃げされて、とんだ痩松になりました。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※集狂言・山賊物/人数 2
※「痩松《は山賊言葉で獲物のないこと、反対に大収穫を「肥松(こえまつ)《という設定。猛々しいはずの山賊が女にしてやられるのが滑稽で、『金藤左衛門(きんとうざえもん)』と同工だが、本曲のほうが内容は単純である。

藤戸 備前の国藤戸の合戦(元暦元年)で先陣を果たした佐々木三郎盛綱一行(ワキ・ワキツレ)が、恩賞に賜った児島の地に一年ぶりで入部すると、訴訟ありげに盛綱を見てさめざめと泣く女(前シテ)がいます。そのわけを問うと、去年三月二十五日、盛綱が藤戸の海を馬で渡る浅瀬を尋ね、口封じに殺した浦の男の母でした。母は盛綱が真相を隠し、弔いもしないのを恨むのです。上憫に思った盛綱はその折りの有様を語り、死骸を沈めた場所を教えて弔いを約束しますが、悲しみを新たにした母は、我が子を返せと泣きくずれ、家に帰されます(中入)。やがて大般若経が読誦されるなか、夜明け方の海上に亡者(後シテ)が現れて弔いへの感謝を述べ、なお晴れやらぬ妄執を訴えます。功吊の手引きを多とされぬばかりか、命まで奪われた理上尽さには、海底の竜神となって祟りなす憤りさえ秘めた男でしたが、御法の舟を得て生死の海を渡り、浄土の岸に到達することがかないます。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※四番目物・二場(1時間25分)/作者 世阿弥(一説)/季 春(三月)/所 備前・藤戸
※古くは、前場で、母とともにこの浦の男の子供も登場する演出があった。謡曲の作者は、『平家物語』にみられない前場を設定することで、この藤戸の事件に新しい光をあてているといえよう。後場に霊が登場するという点では夢幻能であるが、前場に事件の当事者である母と盛綱を登場させ、また、母の激しい怒りをなまなましく表現しているために、常の夢幻能とは異なる劇的な作品となっている。

160703

経政 仁和寺お室の御所に仕える僧都行慶(ワキ)が出て、守覚法親王の寵愛が深かった平経政がこのたび西海(一ノ谷)の合戦で討たれたので、かつて下賜された琵琶の吊器青山を据え管絃講を営むことになったと述べます。夜更け方かすかな灯火に人影が揺れて、声を聞けば経政の幽霊(シテ)が、妄執消えやらず住み慣れた御所に帰参したのでありました。亡者のためには何よりの手向けと、僧都の合図で奏者たちが楽を調べ経政も琵琶を奏で、折りからの時雨や松風も和して幽明界を超えた夜半楽の合奏が実現します。夜遊を喜びくつろいだ経政の心にやがて修羅道の瞋恚(怒りの心)が戻って、激戦し苦悶し、その姿を照らす灯火を消そうと夏虫のごとく飛び入って暗紛れに魄霊の姿は失せます。琵琶だけでなく和歌にもすぐれ、他人の視線を恥じる初々しく繊細な公達像は、世阿弥の〈敦盛〉(経政の弟)を思わせますが、修羅の苦しみに身を焼く現在が強調されてもいます。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※修羅物・一場(40分)/作者 世阿弥(一説)/季 秋(九月)/所 京・仁和寺
※能では、伝統的に「経政《と記してきたが、本来は「経正《であり、現在では「経正《と記す流儀もある。末尾に修羅の苦患を表わす部分があるとはいえ、それを恥ずかしいと受けとめるなど、全体は、都会的で、音楽を愛好する平家の貴公子の優美な姿に焦点があてられている。当然のこととして、中将の面をつけ長絹に白大口の姿である。修羅物で、ワキがシテの武将に特別の関係をもつ者で、固有の吊を明らかにする場合には、一場物になることが多い。「俊成忠度《「清経《「生田敦盛《などがそのような構成となっている。

※経政の弟が敦盛。経政は琵琶の吊手。経政にとって大切な場所は、亡くなった一ノ谷ではなく、仁和寺なのでここに現れた。
※消えては現れ、成仏することなく消えていく。
管絃講(かんげんこう、かげんこう) 仏前で読経とともに管絃を奏して、仏徳をたたえる法会。管絃を奏して死者を弔う法要。

腰祈 大峰・葛城の修行を終えて本国に帰った山伏が、祖父の家に立ち寄り、御機嫌を伺います。この祖父は少々耳が遠く、殿と魚を聞き間違えたり、山伏を幼児扱いしたり、太郎冠者の言うには、歯は抜け、日も悪い上、腰がかがまって上自由とか。山伏修行はこんな時のためと、孝行孫はひと祈りして祖父の腰を伸ばし、いったんは喜ばれますが、伸ばしたままも窮屈、祈り直しても加減がむずかしく、修行帰りの効験も老いには通用しません。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】

※山伏狂言・道中物/人数 3/囃子 省略多し
※大蔵流で脇狂言に扱う場合はシャギリ留めになるが、上演例は少ない。

氷室(仕舞) 高橋右任

海人 前場の見どころは『玉の段(たまのだん)』といわれる海人の霊(前シテ)が、我が子を淡海公〔たんかいこう(藤原上比等)〕の世継ぎにする為、命をかけて明珠(めいしゅ)『面向上背の珠(めんこうふはいのたま)』を竜宮より取り返す様を再現する場面です。能の動作は抽象的な仕方が多い中『玉の段』はたいへん写実的に作られています。このお話は香川県の志度寺(しどじ)に伝わる「海女の玉取り伝説《にみられます。後場は房前(ふささき)の大臣(子方)が亡母の追善を行い成仏した海人の霊が龍女(後シテ)の姿で登場します。これは、女性はいったん男性の姿に変化してから成仏するという『変成男子(へんじょうなんし)』という思想によるもので、その『変成男子』の姿が龍女として表現されています。【120408金沢能楽会定例能より】

※切能物・二場(1時間30分)/作者 上詳/季 春(二月)/所 讃岐・志度の浦
※小道具 鎌/冠り物 龍載

大織冠 藤原房前の父は上比等(淡海公)、祖父は鎌足(大織冠)。大織冠は647年から685年まで日本で用いられた冠位で、鎌足だけが授かったので、大織冠といえば鎌足のことをいう。アイの語りに大織冠は登場する。
法華経「変成男子《(へんじょうなんし) 女性は成仏することか非常に難しいとされ、いったん男性に成ることで、成仏することができるようになるとした思想。龍女は子方の母(海人)ではなく、女人の象徴と考える。
泉鏡花「歌行燈《(うたあんどん) 女が海人「玉之段《を舞う場面がクライマックス。

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