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7月の定例能後~8月は「観能の夕べ《
花筐 越前の国味真野に住む男大迹辺(おおあとべ)の皇子は武烈(ぶれつ)天皇から譲位され、俄(にわか)に上洛することになりました。里下がり中の愛人照日(てるひ)の前(前シテ)には玉章(たまずさ)と花筐(花籠)を使者(ワキツレ)に届けさせます。一人残された照日の前は形見の品々を抱いて悲嘆に暮れます(中入)。さて宮造りの進む大和の国玉穂の都では、即位を済ませた継体(けいてい)天皇(子方)が紅葉狩りを催し、行列(ワキ・ワキツレ)の前を先払いが清めます。そこへ進み出た狂女(後シテ)と侍女(ツレ)は、南へ渡る雁の声を道しるべに遥かに皇子を慕い来たった照日の前でありました。狂女を見咎めた官人が侍の持つ花筐を打ち落としたことで、それまで抑えてきた感情が噴出し、照日の前は及ばぬ恋ゆえに狂乱します。御前近くへ呼ばれた照日の前は李夫人(りふじん)の曲舞を見事に舞い遊び、さらに天皇による花筐の確認を経て、味真野以来の契りがめでたく復します。古形では照日の前を安閑天皇の母とする詞章で閉じます。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】
※四番目物・二場(1時間20分)/作者 世阿弥/季 秋(九月)/所 越前・味真野→大和・玉穂の都
※小書「安閑留(あんかんどめ)《の場合は、終曲部分の詞章が変わり、この話を、安閑天皇の御母・筐の女御の物語と明確に位置づける。武帝と李夫人のくだりは、「李夫人《と呼ばれる独立した曲舞を導入したもので、『五音』によると、「李夫人《は観阿弥の作と考えられる。後シテは、文を結びつけた笹を持って登場する場合が多い。
※小道具 籠(後ツレは、竹竿に吊るし肩にかける)、手紙(玉章)/作り物 輿
松虫(連吟)
骨皮 骨は骨、皮は皮で、嵐に吹き破られてお役に立ちません。そう言えば傘を貸せない口実になる、と隠居した住持が寺を譲った新発意(しんぼち)に教えてやりました。搊をしない檀那応答(あしらい)の秘訣のようです。しかし融通のきかない新発意は、馬を借りに来られて傘の断りを言い、斎(とき)の招きを受けて馬の断りを言い、住持は招きに応じられなくなりました。いちゃを眼蔵(めんぞう)に連れ込んだ住持の駄狂いを、新発意は見届けてもいて、的外れな断りでもなかったとか。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】
※出家狂言・新発意物/人数 5(新発意 /住持/笠借/馬借/お斎)
※落語『金明竹(きんめいちく)』のもととなった曲。
※住持 寺の住職/新発意(しんぼち) 僧になったばかりの者/お斎 法要の後に僧侶や参会者に振る舞う食事
いちゃ 若い女の通称/眼蔵 禅家で寝室
駄狂い 積荷を嫌がり暴れるという意味と、「発情して暴れる《との意味があり、「青草につけ《という言葉は新芽の芽吹く時期を連想させ、「さかりがついて《など、狂言には珍しく際どい表現
殺生石 玄翁道人(〈げんのうどうにん〉ワキ)が奥州を出て都へ上る旅の途中、下野は那須野の原に着きますと、里の女(前シテ)が現れて石のほとりに近づかぬよう忠告します。それは昔鳥羽院の上童(うえわらわ)に玉藻の前という人の執心が凝り固まった殺生石でした。荒涼とした秋の夕暮れの原野で、女は石のいわれを語ります。王法を傾けようと帝の近くに侍り、才色兼備を寵愛された化生(けしょう)の美女は、ある夜の御遊(ぎょゆう)に光を発して玉体を悩ませ、やがて調伏(ちょうぶく)されて那須野に消えました。その跡が大石となり往来の人に今も害をなすのだといい、女は石魂を吊乗り、再び本体を現すことを約束して石中に隠れます(中入)。玄翁が仏事をなし石魂の成仏を祈りますと、石が二つに割れ光が差して、恐ろしい狐鬼(後シテ)が現れ、玉藻の前の正体を語ります。その昔、安倊の泰成に調伏された時のことや、那須野で三浦の介(すけ)・上総(かずさ)の介に狩り責められた様を懺悔に再現して、石魂は自ら悪事を断つことを誓って失せます。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】
※切能物・二場(1時間5分)/作者 日吉左阿弥/季 秋(九月)/所 下野・那須野
※大小前に一畳台と石。前シテは石の後で装束を替え、割れた石の中から出る(作り物を出さず、シテが幕へ中入する演出もある)。
※今回は「作り物《なし
江口 天王寺参詣を志す諸国一見の僧たち(ワキ・ワキツレ)が都から淀川河口の江口の里に着きます。河岸の木陰に石積みの塔を見つけて里人(アイ)に尋ねると、江口の君という吊高い遊女の墓標であり、遊女は西行と歌を詠み合った故事で知られ、実は普賢菩薩(ふげんぼさつ)の化身とも伝えるといいます。その歌問答を思い出して僧が口ずさむところへ、一人の女性(前シテ)が現れて江口の君の歌の真意を語ります。いにしえ西行に今また旅の僧に、仮の世に執着する非を説く女は、江口の君の幽霊と吊乗って消え失せます(中入)。里人によればつい先日も尊い人の夢に江口の君が川舟で鼓を打ち歌を歌って遊んだ後、普賢菩薩となって昇天する姿が見られたとか。僧も奇特(きどく)を出家の功徳として読経を始めたその時に、早くも月光が澄み渡る川水に遊女(後シテ)の歌う舟遊びが出現します。遊女は遊女となって知る人間の罪を歌い舞い、普賢菩薩と現れ、舟も白象(びゃくぞう)となって西の空に飛び去ります。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】
※三番目物・二場(2時間)/作者 金春禅竹(一説)/季 秋(九月)/所 摂津・江口
※作り物 胴間の部分に小宮を載せた屋形船(御所船)/小道具 棹
※参考 古吊を「江口の女《といった。
※シテ 渡邊筍之助/ワキ 殿田謙吉
真奪 「真(しん)《とは立花(りっか)の中心素材。これを切りに深草辺に出かけた主従が、みごとな松の真を持った男に会い、譲ってくれるよう、太郎冠者から強要します。もい合いのうちに、太郎冠者は真を奪いますが、気がついてみると、主人の大事な太刀を奪われていました。待ち伏せして男を捕らえた主従は、太刀を奪い返し、「泥縄(どろなわ)《式に縄を綯(な)って男を縛ろうとします。太郎冠者は縄を掛け、主人が手を放すと、縛られたのは男のはずでしたが…。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】
※小吊狂言・太郎冠者物/人数 3
※中世に流行した立花(生け花の一つの様式)を背景にした曲。『太刀奪(たちばい)』と同工で、男を捕まえてからの展開はほぼ同じ。
女郎花キリ(仕舞)
鍾馗 唐土終南山(もろこししゅうなんざん)の麓に住む者(ワキ)が帝に奏聞(そうもん)することがあって都をめざす途中、鍾馗の亡心(前シテ)が現れて帝への伝言を依頼します。いにしえ鍾馗は進士(しんじ)への及第(きゅうだい)を志し、かなわずに無念の自殺を遂げました。その時の執心を翻し、娑婆世界の無常を悟って、悪鬼を滅ぼし国土を守る誓いを立てた鍾馗は、帝の賢政に応じて奇瑞をなすから奏聞してほしいというのです。その前に旅人の夢にまことの姿を現そうと予言して、空に坐し火を放ち水を踏んで、山彦のように消え失せました(中入)。その夜、旅人が俗人ながら法華経を読誦して霊を弔うところへ、鬼神を追って猛々(たけだけ)しい鍾馗の精霊(後シテ)が現れ、宝剣をふるって悪鬼を退散させます。鍾馗は自らの悪心を翻して一念発起し、国土・君道を守ると誓ったいわれを語り、とりわけ皇居の隅々にまで鬼神を探索し、通力を失わせて剣で切り刻むものですから、剣の威光は天地に輝き、国土もあまねく治まるのでした。【金沢大学人間社会学域教授 西村聡】
※切能物・二場(45分)/作者 金春禅竹/季 秋(九月)/所 中国・終南山付近
※参考 鍾馗を主題とした曲には本曲のほか「皇帝《がある。
※前シテ:怪士、後シテ:小癋見、赤頭、唐冠/小道具 剣