獣形勾玉(寺中遺跡)
玉枝形木製品(畝田遺跡)
ト骨(畝田遺跡)
銅鏡破片(無量寺B遺跡)
前田利家 刻印状
寺中村新開文書
寺中神事能
金石住還の松並木
(昭和11年)
掘り抜き井戸
(もっくり)
大野村役場にて(解村記念)
(昭和18年)
耕地整理(松村)
(大正7年)
明治に建てられた大野尋常小学校
(大正14年)
金石電車
(大正3年)
さよなら金石電車
(昭和46年)
大徳公民館
(昭和63年)
木曳野小学校児童による人文字
(平成4年)
新大徳川の流れ
(平成6年)
市編入50周年感謝状
大徳消防分団のはしごのぼり
(市編入50周年記念イベントより)
歓声あがる綱引き
(市編入50周年記念イベントより)
後世に受け継がれていく獅子舞
(市編入50周年記念イベントより)
西暦 | 年号 | 事項 | 参照事項 |
---|---|---|---|
646 | 文化 2 | 大化の改新 | |
687 | 持統 1 | このころ越の国が越前・越中・越後となる | |
710 | 和銅 3 | 奈良遷都 | |
770 | 宝亀 1 | 『日本霊異記』にこの年のこととして「大野郷畝田村」を舞台にした説話がでている | このころ条里制がしかれた |
794 | 延暦13 | 平安遷都 | |
818 | 弘仁 9 | 横江庄が酒人内親王によって東大寺に寄進 | |
823 | 弘仁14 | 越前から加賀分立 | |
871 | 貞観13 | 渤海の使者が加賀国に着岸した | |
885 | 仁和 1 | 大野郷の道今古が貞女として表彰をうけた | |
927 | 延長 5 | 『延喜式』に大野港神社の名が載る | このころ『延喜式』成立 |
931〜938 | 承平年中 | 『和名抄』に大野郷の名が載る | 『和名抄』成立 |
1089 | 寛治 3 | 得蔵保が醍醐寺領となる | |
1163 | 長寛 1 | 『白山記』に佐奈武社の名があらわれる | |
1183 | 寿永 2 | 5月 源平両軍が大野荘に対峠した | 倶利伽羅の戦い |
1185 | 文治 1 | 義経が都落ちの途次佐奈神社に立ち寄ったと伝える | 守護・地頭設置 |
1192 | 建久 3 | 鎌倉幕府開く | |
1203 | 建仁 3 | このころ富永御厨が伊勢神宮領であった | 北条氏執権となる |
1224 | 元仁 1 | 親鸞一向宗(浄土真宗)を開く | |
1236 | 嘉禎 2 | 白山宮の神興が大野荘に乱入した | |
1252 | 建長 4 | 大野湊神社が海浜から寺中に移ったと伝える | |
14世紀 | (前半) | 大野荘が得宗(北条本家)領であった | |
1320 | 元応 2 | 臨川寺ができ富永御厨はその寺領となった | 富樫泰明加賀の守護となる |
1325 | 正中 2 | 『大野荘田類注文』に藤江村・無量寺村・観音堂村の名があらわれる | |
1334 | 建武 1 | 建武中興 | |
1336 | 建武 3 | 臨川寺が大野荘などを完全に掌握した | |
1338 | 暦応 1 | 足利尊氏室町幕府を開く | |
1356 | 正平11 | 臨川寺文書に松村の名があらわれる | |
1462 | 寛正 3 | 宮腰の平木が臨川寺と間で争いをおこした | |
1471 | 文明 3 | 蓮如が吉藤専光寺に親鸞絵伝を下付した | 蓮如吉崎御坊を建立 |
1482 | 文明14 | 『大野庄年貢算用状』に宇禰田(畝田)村の名が見える | |
1485 | 文明17 | 洲崎慶覚が強引に宮腰に入部した | |
1488 | 長享 2 | 一向一揆が富樫政親を滅ぼした | |
1495 | 明応 4 | 宮腰塩町の名がみえる | 蓮如石山本願寺を建てる |
1531 | 享禄 4 | 大一揆・小一揆おこる | |
1546 | 天文15 | 金沢御坊を建てる | |
1573 | 天正 1 | 室町幕府滅亡 | |
1580 | 天正 8 |
柴田勝家が宮腰に陣し、在々の民家を焼き払った 佐久間盛政が尾山御坊を占拠した |
石山本願寺信長と和議 |
1581 | 天正 9 | 前田利家能登領有 | |
1583 | 天正11 | 佐久間盛政滅び前田利家石川・河北両郡を領有し、4月金沢城に入る | 賤が嶽の合戦 |
1585 | 天正13 | 秀吉関白となる | |
1586 | 天正14 |
正月、利家は佐奈武社に氏子村々15カ村・田地二町を寄進した 5月 寺中村神主に制札を与えた |
|
1603 | 慶長 8 |
江戸幕府開く 前田氏加南を併有 |
|
1604 | 慶長 9 | 利長が佐奈武社へ神事能を奉納した | 十村制度創始 |
1616 | 元和 2 | 宮越(金石)住還がつくられた | |
1639 | 寛永16 |
利常大野湊神社を再興する 犀川下流切り替えられる |
|
1656 | 明暦 2 |
改作仕法成り、村々に村御印が与えられた このころから普正寺の新開はじまる |
|
1659 | 万治 2 | 宮腰道以北を鷹場に指定した | |
1670 | 寛文10 |
村御印を改訂した 非人小屋を設けた |
|
1671 | 寛文11 | 大野川に御船御屋を設け船を繋留した | |
1689 | 元禄 2 | 芭蕉が奥の細道の途次、金沢に来て宮腰にあそぶ | |
1696 | 元禄 9 | 無量寺村が現在の土地に移転した | |
1741 | 寛保 1 |
石川郡に風邪が流行し、この付近の村々でも多くの病死人を出した 藩は皆切高を禁じた |
|
1774 | 安永 3 | 大野川の河口が切り替えられた | |
1783 | 天明 3 | 大飢饉(〜88) | |
1803 | 享和 3 | 伊能忠敬が加賀海岸を測量した | |
1807 | 文化 4 | 藩は異国船発見の時は報告するよう指示した | |
1813 | 文化10 | このころ掘り抜き井戸が普及してきた | |
1817 | 文化14 | 宮越沖にロシャ船が姿を見せた | |
1821 | 文政 4 |
寺中出村(桂町)が分村した これまでの淵上村三郎兵衛組を改め戸板組と改称した |
|
1838 | 天保 9 | 不作を訴えて下安江村などの村役人が捕らえられた(天保義民) | このころ飢餓年が続いた |
1839 | 明治10 | 十村の組替えがあった | |
1843 | 明治14 | 犀川河口(普正寺浜)に砂防植林が行われた | |
1849 | 嘉永 2 | 銭屋要蔵が無量寺村で新開を手がける | |
1852 | 嘉永 5 | 河北潟埋立事件がおこった | |
1853 | 嘉永 6 | 銭屋要蔵らが処刑される | ペリー来航 |
1865 | 慶応 1 | 普正寺浜で小筒や大砲の試射が行われた | |
1866 | 慶応 2 |
寺中浜・畝田村に御台場(砲台)が設けられた 宮腰が大野を合わせ金石町と改称した 犀川・浅野川が氾濫した 要川を掘った |
|
1867 | 慶応 3 | イギリス測量船が七尾に入港しアーネスト・サトーが上洛の途中金石へあそんだ | 大政奉還 |
1869 | 明治 2 | 御郡所が郡治局となる | 藩籍奉還 |
1870 | 明治 3 |
十村制度が廃止される 観音堂に大火があった |
|
1871 | 明治 4 | 加賀藩→金沢藩→金沢県とかわった | 廃藩置県 |
1872 | 明治 5 |
金沢県と七尾県を合わせ石川県となる 戸籍がつくられ姓がつけられた |
学制領布 太陽暦施行 |
1873 | 明治 6 | 観音堂小学校が創設された | 徴兵令発布 |
1874 | 明治 7 | 畝田小学校が創設された | |
1875 | 明治 8 |
無量寺小学校が創設された このころ地租改正が行われた |
|
1876 | 明治 9 | 松村小学校が創設された | |
1877 | 明治10 | 西南の役 | |
1878 | 明治11 |
松任町に郡役所が、北村に戸長役場が設けられた 上金石町が金石町と改称した |
郡区町村編成法施行 |
1879 | 明治12 |
大野湊神社が県社となった コレラが流行した |
県会開く |
1884 | 明治17 |
戸長役場が二口村と北村に設けられた 畝田〜大野間に大野新道がつくられた |
戸長制度改革 |
1885 | 明治18 | 松小学校に畝田・無量寺両学校をあいついで統合した | |
1886 | 明治19 | 普正寺浜で連合運動会がはじめて開かれた | |
1887 | 明治20 | 小学校が尋常科観音堂小学校・尋常科簡易科松小学校と改称した | |
1888 | 明治21 | 松村に巡査派出所が設けられた | |
1889 | 明治22 |
大野村ができた 松林幸次郎村長となる 金石〜松任間に松任新道がつくられた 松・観音堂両校が大野村立東・西小学校と改称した |
町村制実施 帝国憲法発布 |
1893 | 明治26 | このころ普正寺で耕地整理がはじまった | |
1896 | 明治29 | 2月 大野村農会が設立された | |
1897 | 明治30 |
ウンカ大発生し、北海道等へ移住する者が続出 6月 大野庄用水普通水利組合が設立された |
|
1898 | 明治31 |
4月1日金石〜長田間に金石馬車鉄道が開通 同時に北陸鉄道(北陸線)が金沢まで開通した 下金石町が大野町と改称した |
|
1900 | 明治33 | 11月 大野村立農業補修学校をつくった | 新耕地整理法でる |
1902 | 明治35 |
4月 東・西両学校を統合し大野尋常小学校とした 大野湊神社が一千二百年祭を執行し『佐奈武社古文類しゅう』を刊行した |
|
1904 | 明治37 | 日露戦争(〜05) | |
1907 | 明治40 | 義務教育6ヵ年となる | |
1909 | 明治42 | 小学校舎が新築され1月開校した | |
1911 | 明治44 | 寺中・無量寺で耕地整理がはじまった | |
1912 |
明治45 大正 1 |
観音堂に用水ポンプを設置、電灯がついた 4月 大野村青年会が組織された |
|
1913 | 大正 2 |
9月 金石町外八ヶ村伝染病予防組合が発足し寺中出村に金石病院を建てた 松・藤江・観音堂・畝田で耕地整理に着手した |
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1914 | 大正 3 |
無量寺で機会揚水をはじめた 小学校に高等科を設置した 8月 馬鉄から電車(金石電鉄)になった |
第一次世界大戦 |
1916 | 大正 5 | 6月 青年会が大野村青年団と改称した | |
1917 | 大正 6 | 11月 大野村処女会が発足した | |
1918 | 大正 7 | 8月 大野村信用販売購買組合が設立された | 米騒動 |
1919 | 大正 8 | 二ツ寺橋から金石住還までの県道を改良 | シベリヤ出兵 |
1920 | 大正 9 | 金石鉄道が中橋まで延長された | |
1922 | 大正11 | 金沢市が水道事業を計画し、犀川七ヶ用水がこれに反対運動をおこした | |
1923 | 大正12 |
9月 村役場が新築された 金石電車が大野町まで延長された |
関東大震災 |
1925 | 大正14 | 涛々園・粟ヶ崎遊園地がひらかれた |
西暦 | 年号 | 事項 | 参照事項 |
---|---|---|---|
1926 |
大正15 昭和 1 |
1月 水道反対期成同盟が結ばれた 6月 青年訓練所を農業補修学校に併設した |
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1927 | 昭和 2 | 耕地整理事業がまったく終わった | 農村恐慌(〜31) |
1928 | 昭和 3 | 産業組合に農業倉庫ができ、共同かんも備えた | |
1929 | 昭和 4 |
市水道との紛争は市の補給水案をいれた 大野湊神社の造営が行われた |
|
1930 | 昭和 5 |
6月 市水道問題の協定が成立した 大野村婦人会が発足した |
JOJK開局 |
1932 | 昭和 7 |
大野村に方面委員がおかれた 道路(村路)改良事業をすすめた |
時局国救事業・失業対策事業開始 |
1935 | 昭和10 | 7月 青年学校ができた | |
1936 | 昭和11 |
6月 消防ポンプが購入された 8月 産業組合が新築された 戸水〜無量寺間の道路が改良された |
|
1937 | 昭和12 |
1月 忠魂碑が建てられた 小学校に特別教室一棟増築、運動場も造成 5月 金石住還がコンクリート舗装された |
日支事変勃発 |
1938 | 昭和13 | 国防婦人会が結成された | 国家総員法公布 |
1939 | 昭和14 |
5月 警防団を結成した 金沢市都市計画区域に大野村などを追加 12月 大徳農地委員会が発足した |
米穀配給統制法公布 |
1940 | 昭和15 |
大野村国民健康保険組合が発足した 7月18日小学校と民家4戸を全焼、児童は分散授業を行った再建のため全村禁酒 このころまで無量寺の菱売りが見られた |
|
1941 | 昭和16 |
校下の大政翼賛会・翼賛壮年団が発足した 小学校が国民学校と改称した 12月 校舎が完成した(8月に復興) |
太平洋戦争はじまる |
1942 | 昭和17 | 婦人会が大日本婦人会に改組した | 食糧管理法でる |
1943 | 昭和18 |
12月1日大野村は金沢市に編入し閉村した 地区名を大徳と名づけ、国民学校は大徳国民学校、警防団は金沢市第三警防団となる 桂町が独立した 金石電鉄モェ他と統合、北陸鉄道モニなった |
|
1944 | 昭和19 | 産業組合と農会が統合して農業会を設立した | |
1945 | 昭和20年 | 松根油を取るため道路や浜の松の根をほる | 終戦 |
1946 | 昭和21 |
2月 大徳青年聯盟発足 4月 過大な供米割当に対し市役所にデモ行進し陳情した 7月 大徳校下青年団と改称した 12月 農地委員を選挙した |
農地改革はじまる |
1947 | 昭和22 |
農地解放が行われた 4月 警防団が、金沢市第三消防団大徳分団となる 4月 金石中学校が創設され大徳分校ができた。国民学校は大徳小学校と改称した 地区内の各寺院(道場)が寺号を公称した |
日本国憲法公布 教育基本法・63制実施 |
1948 | 昭和23 |
2月 農業会を改組し大徳農業協同組合を設立した 大徳校下婦人会を結成した 大徳農業振興会を結成した 小学校PTA(育友会)が発足した 大徳民生委員会が発足した |
6月11日福井大震災 |
1949 | 昭和24 | 金石住還の松が切りはらわれ拡張された | 成人式設定 |
1950 | 昭和25 | 9月3日ジェーン台風によって農作物や建物に大きな被害を出した | 朝鮮動乱(〜53) |
1951 | 昭和26 |
大野庄用水土地改良区と木曳川土地改良区が設立された 青年団が『沃野』続いて『大徳情報』を発刊した 大徳自治会が発足した 農協婦人会が結成された |
|
1952 | 昭和27 |
10月 大徳公民館が出来た 金石中学大徳分校が廃され本校へ統合された |
内灘試射場問題おこる |
1953 | 昭和28 | 児童委員が生まれ民生委員が兼任した | |
1954 | 昭和29 | 7月 金沢市国民健康保険組合が全戸加入で発足した | |
1955 | 昭和30 |
6月 忠魂碑を再建した 7月 無量寺町に建設の船だまりが完成 |
|
1956 | 昭和31 | 金石中学校校舎が完成した | |
1957 | 昭和32 | 木曳川改修工事が完成した | NHK−TV開局 |
1958 | 昭和33 | 10月 国立石川職業訓練所が観音堂町に開所 | MRO−TV開局 |
1959 | 昭和34 |
中橋陸橋が完成した 大徳健寿会が誕生した |
|
1960 | 昭和35 |
県道金沢港線(金石住還)の舗装が完成した 農業振興会が農協青年部となった |
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1961 | 昭和36 | 大徳社会福祉協議会が発足した | |
1962 | 昭和37 |
大徳小学校創立九十周年事業が行われた 12月 松村郵便局が開局した |
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1963 | 昭和38 |
無量寺町で地下水による上下水道を建設した 金沢市立工業高等学校が畝田町に校舎を新設 大徳農協事務所が新築され、旧農協は移転して大徳公民館となった 石川県消防学校が畝田町に建設された |
三八豪雪(市内最深積雪135cm) |
1964 | 昭和39 |
大徳川土地改良区が設立された 石川県金沢職業訓練所が観音堂町で開校した 8月 大徳保育所が開設された 四ツ葉会が生まれた 金沢港が重要港湾に指定され、工事に着手 松村町に吉田団地が造成された |
東京オリンピック |
1965 | 昭和40 |
観音堂町に石川県自動車運転免許試験場が完成し県警二課も移った 北陸安全自動車教習所が開所した 普正寺遺跡の調査が行われた 大徳消防ポンプ自動車が新調された 畝田町・観音堂町に第二吉田団地が、普正寺町に船見団地が造成された 10月 国勢調査で大徳地区1,154世帯、人口4,842人 |
犀川ダム完成 |
1966 | 昭和41 |
7月 金沢市中央卸売市場が開業した 松任・宇ノ気線の拡張舗装と犀川改修工事が完成した 松村遺跡が発見された |
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1967 | 昭和42 |
2月 金沢市内電車が全面廃止された 10月 金沢問屋センターが開業した |
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1968 | 昭和43 |
寺中遺跡の発掘調査が行われた 県道大野−畝田間の拡張舗装が完成した 畝田・松村・藤江三町に市の水道が入った |
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1969 | 昭和44 |
4月 石川テレビが観音堂町で開局した 大徳小学校のプールが完成した 8月 県民海浜公園のプールが完成し公開された 藤江町で北陸自動車道・金沢バイパスの工事が着工され、藤江A遺跡が発掘調査された 11月 松村町で区画整理事業が実施された |
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1970 | 昭和45 |
4月 金沢駅西土地区画整理事業が開始した(105ha) 8月 『大徳郷土史』発刊 10月 国勢調査で大徳地区2,373世帯、人口8,752人 11月 金沢港が開港した 「金沢市60万都市構想」が確定された |
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1971 | 昭和46 |
8月 金石電車が廃止された 11月 みなと保育園が開園した |
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1972 | 昭和47 |
6月 大徳農協集荷場が完成した 9月 桂町で区画整理事業が実施された 12月 大徳小学校創立百周年を祝う 興能信用金庫が大徳地区で銀行として初めて畝田支店を開設した |
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1973 | 昭和48 |
4月 金沢バイパス(現国道8号)が開通 校下防犯連絡員制度の発足 大徳校下金沢市編入三十周年を祝う |
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1974 | 昭和49 |
1月 松村第二町会独立 畝田町会が中・東・西の三町会になる 4月 ニコニコ保育園が開園した 8月 金沢市中央農協が発足(大徳・三馬・鞍月・戸板・二塚 2,300人組合員) 10月 金沢西署畝田駐在所が派出所となる 12月 能登有料道路が全線開通した |
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1975 | 昭和50 |
4月 県立金沢西高等学校が藤江町で校舎を新設した 8月 松村町の町名・地番が変更 10月 国勢調査で大徳地区3,995世帯、人口14,033人 |
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1976 | 昭和51 |
寺中の森・普正寺の松林が「緑の金沢十景」に選ばれる 消防ポンプ自動車の新鋭車を購入・放水式 6月 石川県立中央病院が開院した 12月 藤江町の町名・地番が変更 |
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1977 | 昭和52 |
4月 城西市民体育館が開館した 12月 大徳地区社会福祉協議会が発足した |
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1978 | 昭和53 |
4月 福祉法人大徳保育園が開園した わらべ保育園が開園した 10月 西部商店街(協)が発足した |
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1979 | 昭和54 |
1月 藤江南町会独立 4月 金沢市立木曳野小学校が開校した 8月 金沢駅西第2土地区画整理事業開始(233ha) 10月 松村第二町会と普正寺町会に会館落成 北陸機械跡地に団地造成 |
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1980 | 昭和55 | 1月 松村第三町会独立 | |
1981 | 昭和56 |
2月 藤江町会館落成 4月 県立金沢西高等学校にナイター設備 5月 大徳消防分団・格納庫新築 8月 律令期の屋敷跡発見(畝田・無量寺遺跡) |
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1982 | 昭和57 |
1月 観音堂西町会独立 2月 観音堂町会館落成 大野湊神社社叢、金沢市文化財に指定 普正寺遺跡が発掘された 7月 大徳川の改修はじまる(新大徳川) 寺中県営共同住宅建設が着工した(平成2年8月、10号棟完成) |
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1983 | 昭和58 |
2月 畝田町の町名・地番変更 3月 無量寺町で区画整理事業が認可された 5月 県野鳥園が普正寺町に開園した 8月 県工業試験場が完成した 無量寺B遺跡から鏡片が出土した 消防学校が東蚊爪町に移転した 金沢市中央農協が金沢中央農協と改称 |
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1984 | 昭和59 | 11月 寺中町会館・観音堂西会館落成 | |
1985 | 昭和60 |
8月 全国高等学校総合体育大会・石川県で開催 10月 畝田県営共同住宅建設が着工した(平成2年11月、6号棟完成) 国勢調査で大徳地区5,671世帯、人口18,896人 |
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1986 | 昭和61 |
11月 松村第三町会会館・無量寺町会館落成 畝田遺跡からト骨など出土 |
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1987 | 昭和62 |
1月 観音堂東町会・県営畝田町会独立 7月 金沢西部地区土地区画整理事業開始(100ha) 10月 金沢港に日本丸初入港(観客20万人) |
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1988 | 昭和63 |
1月 畝田遺跡から日本最古とみられる木製玉枝頭部発見 4月 大徳公民館を新築・開館した 7月 北陸自動車道が全線開通した(米原〜新潟467km) |
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1989 | 平成元 |
4月 テレビ金沢・北陸朝日放送共用のテレビ塔完成 金沢市立大徳中学校が開校した 9月 大徳防犯委員会が設立された 藤江C遺跡が発掘された |
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1990 | 平成2 |
JR金沢駅高架化が完成した 10月 国勢調査で大徳地区6,368世帯、人口20,520人 |
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1991 | 平成3 |
金石バイパスが完成された 8月 松任・宇ノ気線(佐奇森町〜金石本町)4車線完成 9月 台風19号の猛威県内を襲う 10月 第46回国民体育大会秋季大会(石川国体)開催 第27回全国身障者大会(ほほえみの石川大会)開催 |
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1992 | 平成4 |
7月 大徳地区金沢市編入五十周年記念事業実行委員会できる 戸水大西遺跡が発掘された |
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1993 | 平成5 |
10月 大徳地区金沢市編入五十周年記念行事盛大に開催された (併催:大徳公民館設置四十周年記念) |