金沢舞踏館  Ophelia Glass
 Kanazawa Butoh Kan
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京都 創生劇場「Ophelia Glass -暗黒ハムレット-」


先斗町歌舞練場 平成27年6月7日
撮影/ ハヤシハジメ
若き才能の音楽・映像/ 平山裕樹
あり得ない企画/ 京都芸術センター、脚色/ 小林昌廣

オフィーリア目線で考えると・・
まずは、「ハムレット」を浪曲の語りでおさらいを
浪曲師 春野恵子さんです。



先王の豊嶋晃嗣さんと
ハムレットの若柳吉蔵さんです。







演者は男性ばかりです。
レイアティーズの山本瑠衣さん
ガートルートの善竹忠亮さん
クローディアスの豊嶋晃嗣さんと。







ガートルートを悪夢のように
"鏡ぜめ"で操るのは影の一団、MuDA



国づくりは花を生けて・・
フォーティンプラスの笹岡隆甫さん。
客席は国の変貌を見届ける大衆の席で、
町を流すのは新内枝幸太夫、重森三果さんです。




----ブログで次のような舞台感想をアップされてました。感謝です。----


ただ「伝統的な身体」があるのではない
−創生劇場『Ophelia Glass暗黒ハムレット』を観て(3月7日)−

          ( 大谷大学 文学部 2015年3月9日 番場寛 教授)
「創生劇場」の公演は、前回能と歌舞伎の役者と楽器の演奏者が一緒に創作劇を演じたのを観た(於 京都造形芸術大学)のは何年前か忘れたが、新たな試みには共感したものの作品として見たときどこかちぐはぐな感じは否めなかった。
今回はまず舞台として、先斗町歌舞練場が選ばれたのも良かったのだろう。布で全身を覆った松本拓也が尺取り虫のようなゆっくりとした動きの後、浪曲士の春野恵子が話のポイントを語りで説明したとき。やはり踊りや舞では『ハムレット』を演じるのは無理で言葉に頼るのかと思ったが違った。
他の伝統芸能者たちは、各自が獲得した身体を保ちながら演じる。例えば能役者は面をつけないばかりか、扇子も持たない裸の手の形を保ったまま摺り足で移動する。 音楽も、オフィーリアが身を投げた川の流れを連想させるモネの「睡蓮」のようなビデオアートを映し出した背景など、それぞれの様式の特徴が気にならなかったのは、それらが混ざり合わないように併置することなく、通時的に流されたからだ。
同じように伝統的な身体でもクロ−ディアスを演じた豊嶋晃嗣の立ったまま床を滑っていくような動きと、ハムレットを演じた日本舞踊の若柳吉蔵の上半身の特に手先の動きは対照的で二人の動きの差異は美しい調和をなしていた。そのとき音楽は止み、何も置かれない空間を背景として二人の動きを、観客の息づかいの音を殺すかのような緊張が走った。 多分こういくことを狙ったのだろう。普段は能も日本舞踊も、伝承された厳格な型をいかに習得し、それと寸分違わないものをどのように実現しているかをみな注視するのだが、その習得された型の本質というものは、あらたな振付にも生かせる筈であり、そうすることで能なり日本舞踊のエッセンスのようなものが実現できるのではないか? それは表面的な型や発声をまねるだけだと、今は名前を思い出せないが、あるフランス人が狂言や能の発声をまねたパロディで笑わせるだけの演出になってしまう。
今回の公演で唯一伝統的でないものは、フットボールか格闘技のように肉体同士や床と身体をぶつからせる動きを特徴とするMuDAというコンテンポラリーダンスのグループが加わったことだ。 ハムレットやクロ−ディアスの伝統的な動きの背後で、まさに「闇で蠢くもの」の役を演じており、静止した空間を破壊するかのような動きと音と能楽師と日本舞踊家の静止した空間をきしませながらも、それを破壊することなく危ういところで調和していた。
今回改めて思ったのは、三味線(新内枝幸太夫)の音色の途中で音程が動き揺れたように聞こえるのがスリリングで心地良いということだ。鼓(河村大)の瞬間的に出た後の響きの変化もアナログの魅力なのだろう。
ハムレットとレアティーズの決闘で全員が亡くなった後、舞台にひとつ残された大きな王座を示す大きな白い椅子に、フォーディンブラス役の華道家、笹岡隆甫が大きな緑の葉の着いた枝と黄色の花のついた枝を中心に花を生けるパフォーマンスが見事で、生け花というもの生ける動作も、舞踊と同じく動きの芸術なのだということに気づかされた。 思えば、ダンスの動きというのは静止する瞬間と静止する瞬間の形(フォルム)繋ぐことで成り立っているが、時間と共に形と色が空間を構築していく「生け花」もそうした点では空間芸術であるだけでなく、時間芸術でもあるのだ。
華道家が去った後、ただ一つ残された「王の座」に残された「生け花」に当てた照明を徐々に弱めるかと思うと突然強め、それを再び弱めていき、最後に暗くすることでまるで花たちが呼吸しているかのような幻想を与えた演出も見事で、終わったときには「美しかった」という印象だけが闇に残った。
演出の山本萌、脚色の小林昌廣、出演者、演奏家が見事だったことは勿論だが、こんなにも変形された形でも感動を与えてくれるシェークスピアの原作の見事さにも改めて思い知らされた夜であった。



キーワード
舞踏・山本萌・ハムレット・オフィーリア
創生劇場・春野恵子・若柳吉蔵・豊嶋晃嗣・善竹忠亮・山本瑠衣・笹岡隆甫